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(カテゴリー)コラム

何だかわからないものを理解する力

ピカソ芸術から考えるダイバーシティアート

クレジット

[解説]  岡村多佳夫

[文]  久保田 真理

[イラスト]  山元かえ

読了まで約7分

(更新日)2020年11月09日

(この記事について)

障害のある人たちの作品に対し、好意的な印象を持つ人がいる反面、「わかりづらい」という声も聞く。かつて「わかりにくい芸術作品」だったパブロ・ピカソ(1881 1973年)。しかし、最近ではピカソの絵を「わからない」という人は少ない。むしろ、「わかりやすい芸術作品」として親しまれている。スペイン美術史、近・現代美術史が専門でピカソ作品に造詣の深い美術評論家・岡村多佳夫(おかむらたかお)さんに、わからないものにどう向き合えば良いのかを伺った。

本文

ピカソが生きていた時代のアウトサイダーアート

話は20世紀初頭にさかのぼります。当時、ヨーロッパ各地では植民地化を通じて発見されたアフリカの仮面や彫刻の展覧会が催され、アフリカ美術への関心が高まっていました。

アンドレ・ドラン(18801954年)というフランスの画家が展示を見て興奮し、ピカソやアンリ・マチス(18691954年)に手紙を書いたという記録も残されています。

 当時、西欧の“公的であれ、私的であれ正当な美術教育”を受けていないものは全てアートではなく、“周縁の何か”という対象でした。アフリカ美術のようなプリミティブ・アート(原始美術)をはじめ、バリ島の音楽や日本の浮世絵などもその類でした。当時は人間ですら見世物にすることが行われ、スイスのバーゼルの古い動物園には人間を入れていた檻が残されています。

未開の地で生まれたものから障害のある人が創り出すものに目を向けるようになったのは、もっと後になってからです。フランス人画家のジャン・デュビュッフェ(19011985年)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れられた知識に汚されていない、創造からほとばしってくるものを『アール・ブリュット』(生の芸術)と提唱し、これらの作品をコレクションし始めました。1945年頃のことです。

人と対等に向き合ったピカソ

ピカソが1901年から04年まで描いた、青色を基調とした「青の時代」は、親しい友人を亡くしたピカソの当時の精神状態と関連しています。その頃、梅毒に罹患して収監された娼婦がモデルとなって描かれた絵があります。恐らく、モデル代を払う必要がなかった、病気による悲しみや絶望感にピカソがひかれたなどいろんな理由があったと思われます。

フランスの画家トゥールーズ・ロートレック(18641901年)が、その頃に亡くなったこともまた、ピカソに影響を及ぼし、青の時代につながったと考えられます。少年時代、落馬をして脚の発育が止まったロートレックはその外見から差別を受けていました。だからこそ、娼婦や踊り子といった夜の世界の女性たちに共感して、彼女たちをモデルにしたポスターの名作を生み出しました。

ピカソは彼に直接会うことはなかったものの、興味を持っていたようです。ロートレックもピカソも、いわゆる美から外れたものを描いていたのは、当時の絵描き自身も世間から言えばはぐれ者だったからと言えます。アナーキスト(無政府主義者)、ギャング、外国人、アカデミー以外の多くの画家たちは、要するにアウトローで、お金も社会的地位もない状況は皆同じでした。

人に興味を持ち、観察するピカソは、人間に差をつけず、等価に見ているところがあったと思います。

ピカソが亡くなって30年後に出版された本の中には、母方の祖母が隠れユダヤ教徒だったと書かれています。自身が小学生の時には美術教師をしていた父親の都合でバルセロナに行き、いろいろな人が行き交う港町で過ごしていたことが想像できます。つまり、多様な宗教や人種の中で育っていたのです。そんな多様性のある環境の中で、あらゆる人と対等である意識を身につけたのでしょう。

ピカソは基本的に自由主義的なところがあります。1944年にフランス共産党に入党しています。それは必ずしも共産主義を信奉していたからではなくて、差別された人に対して自由を与えるためで、いうなれば理不尽なことに対しての怒りがあったからなんです。苦しみと悲しみからしか絵は生まれない  ”と彼が言っているように、理不尽な出来事の中で死んでいった人間に対する苦しみや悲しみをピカソは絵で表現しているところがあります。

時間の流れや自身の思いを絵にまとめ上げる

ピカソはアール・ブリュット作品をコレクションしたり、創造からほとばしる絵を描いたりしていたわけではありませんが、存在の意味を考えるような作品づくりはしていました。ピカソの絵はわかりづらい作品もあるけれど、よく見ればわかります。それはピカソが対象の存在をキャンバスに構成して描いているからです。

ピカソが50歳の頃、22歳の愛人マリー・テレーズ・ウォルターが眠っている様子を描いた『夢』を例にとると、顔の右側は向こう側を向いていて描いている位置から本来見ることはできませんが、手前に顔を持ってきて見やすくしている。すると、ピカソ自身のものと思われる左側の顔と口づけしているような感じになる。ピカソ自身の愛の表れがそこにあります。

二次元ではなくて、このように三次元的に見ると、時間が経ってモデルの身体の位置がずれたりしてくるに従って、描いているこちらが見ている場所も変わってくる。つまり、ピカソの絵は、「映画」なんですよね。コマがつながって時間が積み重なっていくような感覚でピカソは描いていくのですが、あくまでも画家である彼が1つの画面の中に見ているものを1枚にまとめ上げていくうちに、絵がごちゃごちゃしてくるのです。

アインシュタインが『特殊相対性理論』(1905年)と『一般相対性理論』(19151916年)を発表し、時間と空間の常識をくつがえした時代にピカソも生きているわけで、少なからずその時代の影響を受けていると考えられます。彼は写真も好きだったから、カメラを少しずらすと被写体の軸線がずれたり、二重露光があったりすることに感じた面白みをそのまま1枚の絵にまとめ上げているような感覚があったのではないでしょうか。

映画の画面転換のようにどんどん変わっていく空間を絵にまとめるのは、ある意味至難の業で、アートの教育を受けている人はそのように描くことに不安になって結局しませんが、思考が柔軟なピカソは全然不安にならない。だから、自身のことを“破壊の集積”と表現していて、ある時ピカソの画風がガラリと変わって画商が怒り狂ったなんてこともあったようです。

わからないと思っても、これは何だろうと考える

昔はわかりにくいと言われていたピカソ作品ですが、メディアで取り上げられたりして理解が進み、今はそんなことを言う人はほとんどいなくなりました。障害のある人の作品はわかりづらいと思っている人が多いと思われますが、鑑賞者としてどう作品と付き合っていくかアドバイスをするならば、わからないということ自体を考えない方が良い。わかろうとすることが大事です。

見てすぐにわかる作品もあれば、すぐにわからない作品もある。わからなかったら、一体これは何だろうと考えることが重要です。

パッと見てわかるものがよいという風潮がありますが、わからないけれど感じるものがあるということもある。感じるということは、自分にとっては良いものなんですよね。逆にそれなりに知られて作品としてわかるけれど、自分は嫌いだと思うものもあるでしょう。だから、作品としての良し悪しと自分の好き嫌いをうまくわける必要があります。自分は好きだけれど、作品としてはひどいものもありますからね(笑)。作品を見て即決して、考えないということが良くないですね。

障害のある人の作品でわかりづらいものがたくさんありますが、じっと見ているとわかるんですよね。わかる状態というのは、その人が何を描きたかったのかある程度見えてきて、何をしたかったのかがわかるということ。彼らの中でもテクニックがある人もいれば、ない人もいる。でも、テクニックがなくても良いと感じる作品はたくさんありますよね。

作家やアーティストには意図があり、テーマやモチーフがあって描いているから、その絵を見て感じられるという行為が一般的にはあります。

このように「意図があり、プロセスを踏んでいる作品の方が良い作品」で、「そうでない作品は良くない」と言う人もいますけれど、障害のある人の中にも彼らなりの「意図」がありますよね。彼らしか見えていないものが見えている、感じているということもあるでしょう。

いわゆる教育を受けて美術史的な文脈を知っている人や絵描きとして生きている人は、自身の意図を持ちながら作品として完成させるために操作する。例えば、構図を考えることなども含めて。だから、鑑賞法としては作品を直接見ることが一番。見続けていけば推理小説を読むように糸口が現れ、意図も、作為も見えてきます。

でも、障害のある人たちはそういう操作はしないで、もっと素直に表現している作品が多い。その人なりの空間の捉え方があるとか、フレームをはみ出さないように描くとか、そんな中で作品が出来上がっていきます。ある人は小さい紙を渡すとはみ出してしまうけれど、大きな紙を渡したらはみ出さなくなったということも。彼の中で出来上がっているスケール感というか空間があるということです。

障害のある人の作品を完成させるには、本人に合ったスケール感や意図を見出したり、必要な道具をそろえたりする「伴走者」が必要ですね。伴走者や理解者がいなかったりして、埋もれているけれど素晴らしいいいものが世の中にはたくさんあると思いますよ。例えば、絵の構図は下手だけれど色使いがすごくいい人がいます。色使いの良さは基本的に先天的なもので、歳をとってから学べるものではないのです。

わからないことを考えると、世の中が面白いと感じられる

わからないことを理解することは、とても大事なことだと思います。

「これはなんだろう」と考えることは、作品に限ったことではなくて、他のことにも通じてきますから。考えるということは抽象的で、抽象的な方が実は物理的であったりします。物理も数学も実は抽象だから難しい。

物理では、新しい理論が打ち立てられたら、その前までの理論は否定されてしまいます。数字だって「1+1=2」だけれど、「1+1=1」の場合もある。1杯の水と1杯の水を足せば、1杯の水ですからね。つまり質量は倍になるかもしれないけれど、見た目では1杯の水に変わりない。全てが完全なる正解はないんです。

障害のある人の絵を鑑賞しながら、このようにいろんなことを考えていくと、世の中が面白いと感じられるのではないでしょうか。


関連人物

岡村多佳夫

(英語表記)OKAMURA Takao

(岡村多佳夫さんのプロフィール)
美術評論家。早稲田大学大学院博士課程修了。元東京造形大学教授。専門はスペイン美術史、近・現代美術史。「生誕100年記念ダリ回顧展」など美術展の監修を多く手がける。『バルセロナ—自由の風が吹く街』(講談社現代新書)、『スペイン美術鑑賞紀行』1・2(美術出版社)、『ダリ』(小学館)、『ピカソ—巨匠の作品と生涯』(角川文庫)、『ピカソの陶芸』(パイ インターナショナル)など著作多数。