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(カテゴリー)インタビュー

料理から地球のことを考える。

土井善晴 [料理研究家]

クレジット

[写真]  斉藤有美

[文]  井上英樹

読了まで約5分

(更新日)2022年04月15日

(この記事について)

親しみやすい言葉で、料理の楽しさを伝えてくれる土井善晴さん。時々「だいたいでええんです」「おいしなくてもいい」と、料理研究家らしからぬ発言をするが、「その言葉に救われた」と、多くの人から支持を得ている。また、最近の著書では利他や地球環境に言及する。ジャンルに収まらぬ幅広い活躍を見せている土井さんに話を伺った。

本文

家庭料理は気楽で良いんです。

Q. 土井さんは、料理は気楽に作ればいいとメッセージを出しておられます。

ええ。気楽でいいんです。家庭料理なんですから。ただ、これだけ食文化が乱れている世の中で、単においしければよいという話で終わらしてはいけないとは思っています。私たちは既に食文化を見失いかけています。こういう時こそ「食文化とは何だろう?」と、考えるべきじゃないかと思う。

食文化の最大の意味というのは、「身を守る」こと。コロナ禍でも日本はなんとか持ちこたえています。清潔な習慣で身を守ったからとも言えるでしょう。和食文化は手を洗う、きれいにすることから始まったと考えています。日本の風土と食文化はつながっていると思いますね。

アトリエで話す土井さん。

Q. 気楽と考えると、ハードルも低くなりますね。

料理を作るということは生きていくことですから、自立するということなんですよね。自立しない限り、自分で判断できない。料理は自分で考えて判断をしますからね。自立できてないとまずいことになる。例えば、正しいことを正しいと言えないような問題も起こりますよね。つまり、自立とは「人間の土台」です。自立しているから自分で決められる。依存していたら何も自分で決められないでしょ。それはけっこう大変なことですが、その方がええと思いますよ。

立派な学問を身につけたって、土台が揺るいでいたら上には何にも乗っからないですよ。土台を作るということは、何が信じられるかを知ることにつながりますよね。若い学生にね、「信じられるものって何かありますか?」って訊ねたら、今の人は自分しか信じられないと言う。私が学生の頃は、政治家も、大人も、警察官も信じていました。信じられないのは自分だけやったんですけどね(笑)。もし、私らがそういう現状を作ってしまっていたとしたら、若い世代に謝りたい気持ちでいっぱいです。今思うのは、何か信じられるものを残したい、伝えたいという気持ちですね。

一枚の写真に人間の本質を見る。

Q. 著書には地球環境の話が度々登場します。料理本の型にはまらないスケールを感じますね。

のっぴきならない状況の中でも、「一人の人間に何ができんねん」って言う人もいる。環境問題に対してどうするべきかを知っていても、現実を優先して「……とは言っても、明日仕事やし」って。ほとんどの人がそうなるんでしょう。だけども、そういう文化や状況を作ったのは男やと思てるんですよ。女性は地球とつながってるんです。このままじゃあかんいうのが本能的にわかる。

昔、男は狩りをしていた。こんなおもろいことないですやん。みんなでマンモス獲るんですよ。仕事や言うても遊びなんですよ、たぶん。男性はそういう感覚を持ち続けていて、「仕事や」と言いながら、おもろうてしゃあないわけです。

セバスチャン・サルガドの写真にアフリカの虐殺を撮ったものがあります。村を焼かれたのでしょう。涙している男性がいる。その横の女性に視線を移すと、頭に鍋をかぶって、子どもの手を引いて走ってるわけですわ。その写真からは「泣いてる暇はない。晩御飯作って子どもに何か食べささなあかん!」って声が聞こえてくる。ここに人間の男と女の本質があるように感じるんです。

ただね、時代が変わっているのは事実です。今の日本の若い男の子たちは、ご飯の準備や片づけもんをすることは、当たり前になっているでしょう。だから、期待をしていますね。労働時間が短くなって、男性も普通に料理をするようになれば、いろんなことが変わると思う。

料理には妙な力がありますから。料理をするということは、最初は地球のこと考えます。地球とは、季節の食材という料理の条件を思うことです。今日は寒いから鍋にしようか。暖かくなってきたから、もうそろそろ筍が出てんのちゃうかって。そうした今ある食材で料理をする。本来、自然のことを考えていないと料理はできなかったんですね。それは今も気をつけているとわかるんです。

Q. 献立を考えるのは地球を感じることだと。

そうやないと、本来、料理はでけへんのです。晩御飯なにを作ろうと思って、振り返って、今度は食べる人のことを思う。その時に、子どもの誕生日やから好きなもん、お肉料理も作ってあげよ。家族が疲れてたら、消化のええもんにしたげようって思う。料理をするということは、地球と人間のことをオートマチックに思うことなんです。そう心に思わせるのは、料理はやっぱり「手の仕事」やということですね。やっぱり手は心とつながってますから。手は、嘘を言えないんです。

自著を眺める土井さん。

Q. 昔は和食の基本は「一汁三菜」と言われていましたが、土井さんが「一汁一菜でいい」という提案をして、多くの人に受け入れられました。

一汁一菜を繰り返してたら、そのうち、魚も焼けるし、イモ一つ煮るぐらいできるようになります。もちろん、一汁三菜があかんわけじゃない。冷ややっこにネギ切って、ホウレンソウ湯がいたら、もう一汁三菜になりますやん。そんなもんですよ。

最近はね、料理がどんどん複雑になってしまっている。一つの鍋で野菜も肉も何でも煮炊きしたいとか言うでしょう。その方が楽だと。そうなると素材によって火加減が違うわけです。野菜も肉もしてほしいことが違うんです。なのに、みな一緒にしたら、大きさや、入れる順番、なにかと加減しないといけなくて、複雑で、難しい料理になってしまう。別々に料理すればいい。シンプルに立ち返ったらいいんです。誰でもできる感覚だけで作れる料理はたくさんあるんですよ。

いまの暮らしをもう一度考えてみる。

Q. 土井さんの料理に関する発信を受け「料理の呪縛から逃れられた」という声を聞きます。

今から何を作ろうって考えた時、昨日と違うことせなあかんのが大変なんです。変化することが一番いやでしょ。苦しいじゃないですか。なのに、「またこれ?」とか、言われたり。「味がいつもとちゃうね」とか。そらもう大変ですよ。

日本は、料理をする家族を守らないですよね。イタリア人もフランス人もスペイン人も、料理を作る人を大切にします。キッチンを守る人を大事にするんです。食事の場は家族が集まる所です。料理を作る人を家族みんなが助けているんです。食事前には、家族がテーブルクロスを敷くし、仕事や学校から帰ってきたら当たり前に手伝う。

ヨーロッパは暮らしを大切にする。その辺のおじさんでも、食事時には白いクロスを敷き、ろうそく立てて、自分でパスタを茹でて、ワインを飲む。それが文化を守ることになる。たまにオペラ観に行く時はええ格好して出かける。

日本人、そんなんないじゃないですか(笑)。コンビニ弁当買ってる生活って、あまりに寂しいでしょう。暮らしはどうでもええと考えてるんじゃないですかね。

Q. 土井さんも暮らしが一番大切だと。

そらそうです。そこに文化があって、われわれはその文化を楽しみに欧州旅行に行くわけですわ。わざわざ飛行機に乗ってね。一方で、自分たちの日本の文化を維持する努力はしていない。何かへんてこりんなことになってるんです。

自分たちの文化を大切にしない人たちは、普段食べているものが「地球とつながっている」なんて考えない。当然、自分が地球人であることに気づかない。人間は自然の一部なんです。そうすると「地球は自分」「自分は地球」って思えるのです。

そう考えたら分断した社会はなくなるんじゃないかと思うんですけどね。料理をしたり、暮らしを見つめると、大きな地球と自分が、しっかり関係があることに気がつくんじゃないでしょうか。


関連人物

土井善晴

(英語表記)DOI Yoshiharu

(土井善晴さんのプロフィール)
1957年大阪生まれ。大学卒業後スイス、フランスでフランス料理、大阪で日本料理を学ぶ。料理学校勤務後、1992年に独立。日本の伝統生活文化を家庭料理を通じて現代の暮らしに生かす術を提案。出版、メディア出演など活動は多岐にわたる。最新著書に長女の光さんとの共著『お味噌知る。』(世界文化社)がある。
(土井善晴さんの関連サイト)