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路上に生きる人たちの踊り、そこから生まれる感情

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(カテゴリー)インタビュー

路上に生きる人たちの踊り、そこから生まれる感情

寺尾紗穂[音楽家・文筆家]

クレジット

[写真]  高橋宗正

[文]  井上英樹

読了まで約5分

(更新日)2019年09月25日

(この記事について)

寺尾紗穂さんのライブに、時折路上生活経験者らによる舞踏グループが登場する。「人が死んだ時、魂は彼らのように舞うのかもしれない」と彼女は言う。寺尾さんの音楽に寄り添い、共鳴し合う踊りと、そこから生まれるものとは。

本文

まちをあるくてらおさんのうしろすがたのしゃしん。

厳しい社会の波にもまれた彼らのダンスと

 ピアノの調べに乗せて歌声が届く。声はか細いようで、力強い。ワンフレーズごと、心に歌詞が置かれていく。その言葉の蓄積がひとつのイメージとなって、身体の奥深くに染みこんでいく。

寺尾さんは音楽活動以外にも、ルポルタージュやエッセイなどを手がけている。2018年秋に上梓したエッセイ集『彗星の孤独』には、時折「ソケリッサ!」が登場する。ソケリッサとはダンサーのアオキ裕キさんと、路上生活経験者らによる舞踏グループだ。

『楕円の夢』のミュージックビデオには、そのソケリッサが出演する。おじさんのダンスが、寺尾さんの歌声と重なり合う。鍛えられていない肉体(ダンス的には)のおじさんたちだが、厳しい社会の波にもまれた彼らのダンスを見ると、不思議な感情がわき起こる。寺尾紗穂さんに話を聞いた。

しょせき、わくせいのこどくのしゃしん。

―ソケリッサとの出会いは?

 ソケリッサを知ったのは『ビッグイシュー』(ホームレス状態の人が販売する雑誌)で、ソケリッサが紹介された記事を見たんです。「あ、この人たちとなら絶対に面白いな」と思って。それで、ソケリッサに〈りんりんふぇす〉(寺尾さんたちが主宰するイベント。ライブだけでなく社会問題に関するディスカッションなども開催される)に出てもらうことにしました。でも、予想と全然違った。おじさんが踊るわけだから、ちょっとコミカルな感じがあるのかなと思っていました(笑)。だけど全然違いましたね。ソケリッサを見ているうちに、自分を見ているような気になったんです。彼らは決して洗練されてはいません。

が、精一杯踊っている様が、もがいている感じに見えた。場面によっては「死んだ人の魂って、こんな風に動いているのかもしれない」と感じたりも。 

……私にいろんなものを思い起こさせてくれる踊りでした。そして、訳もわからないけれど、涙が出たんです。彼らがホームレス経験者であるから涙が流れるのだろうか、と考えました。それはあるかもしれないけれど、そういうステレオタイプな見方を超えたところに彼らの表現の面白さはあるように思えました。それだけ、自由なインスピレーションが私の中に浮かんできたのです。


不思議なフレーズを元に、おじさんたちが踊る

―ソケリッサのダンスは、寺尾さんの音楽にも影響しますか。

 ピアノをひいている時はダンスには集中できないので。そんなには見ないんです。映像を見て「こんなだったんだ」と思うことはある。でも、明るい曲の時におじさんたちがすごく近くに来たりすると、楽しい気持ちが倍増はします。笑わないように歌わなきゃと(笑)。

―ライブを見ていると、ダンス、歌、演奏の要素がミックスした不思議な相乗効果があるなと思いました。いわゆる「ダンスの教育」を受けていないソケリッサにも重なり合うようにも見て取れました。プロフェッショナルなダンサーとソケリッサの間にはなにか違いを感じましたか?

 踊りに関して言うと、プロフェッショナルになってしまうと、あまりにも型がきちっとしている、そんな印象を覚えます。クラシックバレエの世界などはそうですよね。常日頃から身体を鍛えて、柔らかくしておくなど、そもそもの前提が違う。

ソケリッサを見ると、彼らは彼らなりにストレッチをしていたりしますが、あんな太った身体のおじさんたちは、やっぱり世間が考えるところの「プロフェッショナル」ではないですよね(笑)。身体というスタートから違っている。だからでしょうか、踊りの作り方もすごくユニークだと思います。

ソケリッサと舞台に立つ時、演出のアオキ裕キさんが、前もって準備をしてくれます。アオキさんが私の音楽を聴いて、思い浮かべた単語を紙に書く。たとえば、「太陽の周りを回る」とか「月を飲み込む」とか。そういった不思議なフレーズを書いて、それをおじさんたちに見せる。そして、「こんな感じかな?」と、おじさんたちが踊る。

ダンスはそんな作り方をしています。だから、創作ダンスの一種ではあるんですが、作っているのはアオキさんなのか、おじさんたちなのか、本当にわからない。すべてが混じり合っているんです。

インタビューをうけるてらおさんのよこがお。

―即興ではなく、寺尾さんの音を聞き、そこから言葉を取り出して、その言葉をモチーフに踊る。そんなやりとりがあって生まれているのですね。

そうなんです。最後になって「みんな、即興でやりましょう!」ということもあるんですが。基本はかなり作り込んでいるんですね。ただ、そのおじさんからしか出てこないだろうという、本当にユニークな動きがそれぞれありますね。

―たしかに、見たことのない踊りでした。全世界共通のプリミティブ(原始的、素朴)な動きをおじさんたちから感じました。

そうですね(笑)。でも、公演後のアンケートを読むと、“ おじさんが拒否反応を示すことが多いんです。ソケリッサと共に全国ツアーを回った時、女性客のほとんどがダンスに対して「素晴らしかった」と反応してくれていました。しかし、おじさんの中には「あの踊りはいらなかった」と書いてくる人がいて。頭が固いんだと思うのですが(笑)。

「あんな身体を見せられても」「ダンスとは鍛え抜かれた身体の人が踊るもの」「おじさんの身体は美しくない」。きっと、そういう固定観念があるんでしょうね。……そこの部分を崩せないと、ソケリッサのダンスは、“ おじさんたちには受け入れられないようですね(笑)。

―たしかに、日本は「プロフェッショナル」と「アマチュア」の線引きが好きなように思います。寺尾さんの歌と、ソケリッサのダンスを交えた公演は、そこをうまくはみ出している気がする。「はみ出す」というのも、寺尾さんのメッセージなのかなと思ったのですが。

うーん。狙いとかはないんですけどね(笑)。 ただ頭の片隅に、そもそも門付け芸などの芸能を担ってきた人達は社会の底辺の人たちだった、ということはありました。はみだすも何もすごく猥雑なところから芸というものが生まれてきていますよね。

ただ、私自身の中では路上で暮らす人というのが、出会って以降、大きくなっていたので、そういう人たちと一緒になにかできたら面白いなと思ったんですよね。

私の本や歌に山谷の絵描き、坂本久治さんが登場します。彼はずっと日雇い労働者で、私が通っていた都立大の校舎を建てたおじさんでした。台東区にある公園の夏祭りで出会ったのですが、坂本さんは腰を痛めていて、生活保護を受けていました。その後、絵を見せてもらったりする関係になりました。2008年に交通事故で亡くなってしまったのですけどね。

〈りんりんふぇす〉は来年で10回目を迎えます。今回は坂本さんと出会った山谷の玉姫公園で329日に開催できる事になりました。山谷はいろんな団体などが福祉を継続してやってきた場所です。そこでユニークなものがたくさん生まれています。様々な団体を巻き込んでお祭りができたらと思っています。


関連人物

寺尾紗穂

(英語表記)TERAO Saho

(寺尾紗穂さんのプロフィール)
音楽家、文筆家。東京生まれ。2007年『御身』を発表。伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」も始動。現在、CM音楽制作、ナレーション、エッセイなど、活動は多岐にわたる。近著に『彗星の孤独』(スタンドブックス)があり、新聞やウェブなどで連載を持つ。朝日新聞書評委員も務める。
(寺尾紗穂さんの関連サイト)