STORIES

(カテゴリー)インタビュー

(タイトル)私は常にアーティストのエナジーを探している。

エドワード M. ゴメズ [編集者・評論家]

(この記事について)

エドワードM.ゴメズさんはスイス、アメリカ、日本に拠点を持ち、ジャーナリスト、作家、評論家、グラフィックデザイナー、キュレーター、環境保護論者など様々な活動をしている。その多様な仕事を貫くのがアートだ。ゴメズさんに、多様性のあるアートについて聞いた。

(更新日)2020年04月17日

CREDIT

[写真]  高橋宗正

[文]  井上英樹

家族の関係が伝わる作品に強い関心がある。

―― ゴメズさんはアートをどのように見ていますか?

私の専門はアール・ブリュットと現代アートです。「アール・ブリュット」は作家が美術の教育や訓練を受けている、受けていないは関係ありません。私は等しく批評的な方法で見ています。アートには様々な表現手法がありますが、私は手技が残るアートに特別な思い入れがあります。テーマに関して言うと、家族の関係が伝わる「人間性」を感じる作品に強い関心がありますね。

 鑑賞後、答えをすぐに求めようとする人がいます。「これ、どういう意味ですか?」って。しかし、「アートの意味」なんてないときがあるし、なんとでも言えます。むしろアートとは「その問いを考えること」だと思う。だからこそ、アートは私たちを自由にしてくれる。

アートをどう鑑賞するか。私の場合は、「作品がなにを言っているのか」に注目します。そして、外見や特徴について注意深く見てみます。次に「技術的なクオリティ」です。この作家にはどのような技巧があるのか、どんなスタイルなのか。テーマがある場合、どういう主題なのか。風景画なのか静物なのかを見ていく。そして、なにより大事なものは、言語を超えた部分を司る雰囲気を感じることです。私はそれに触れると、「もっと作家のことを知りたい」という感情が湧き上がってきます。

……インパクトのある作品に出合ったとき、なにかを表現したくなる衝動に駆られることはありませんか? 本当に強烈な個性を持つ作品とは、そんな力を持っている。そういう言語を超えた気持ちにさせるのがアートの力だと思います。

―― 施設やサポートをする人の影響力をゴメズさんはどう感じていますか?

サポートする人や施設の方たちに話を聞くと、多くは「教えていない」と言いますね。画材や素材は用意しますし、時には使い方も教えるかもしれない。ですが、その先の「なにをどうするのか」は教えていない場合がほとんどかと思います。しかしながら、環境で作風は左右されるでしょう。たとえば、焼き物が有名な土地だと、設備や技術を持ったスタッフがいるでしょうから、窯で焼いた作品が登場するでしょう。資金が豊かなところは、広いスペースがあるので大きなドローイング作品の制作が可能です。反対に小規模施設でできることは、画材を限定したドローイングですね。

ですが、アール・ブリュットの面白いところは素材から「なにかを発見し、発展」していきます。ここが面白い。〈やまなみ学園〉の鎌江一美(かまえかずみ)さんは粘土という素材を「どう使うか」を発見し、あの素晴らしい作品群を生み出した。あの粘土の使い方に彼女のオリジナリティや面白みがある。大きな施設であれ、小さな施設であれ、素材の使い方の発見がある。それはそれぞれの施設で独自になにかを編み出していると思います。

―― ゴメズさんが編集する『RAW VISION』はどのようなメディアですか?

RAW VISION』は「多様性を称える」ことをテーマにした雑誌です。この雑誌が窓となって、アートの中に「ダイバーシティ・アート(多様性のあるアート)」があることに気付いてもらう役割を果たしていると自負しています。今、アートの世界でもダイバーシティ・アートは非常に注目されています。私はダイバーシティ・アートをより広い文脈で位置づけたいと考えています。そもそも多様性という言葉は、一言では語れない。まさに多様で、複雑であるわけです。ダイバーシティ・アートはそれだけ豊かな存在だと思っています。

(写真について)公募展の作品を審査するゴメズさん。写真提供:日本財団DIVERSITY IN THE ARTS

―― 現在、日本には「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」など、様々な呼び方があります。この現状を同ご覧になっていますか?

そうですね。日本には呼び方がたくさんありますね。理由はいくつかあると思います。1つ目は「すでに日本にあったから」です。たとえば「ダイバーシティ・アート」という言葉は、この20年ほど世界で盛り上がっていますが、それ以前に日本では独学の活動が存在していましたよね。「ダイバーシティ・アート」という概念自体、後から日本にやって来ています。つまり、すでに「あった」わけです。

2つ目は、これも1つ目と関連しますが「借り物の言葉」だということ。フランス語の「アール・ブリュット」をカタカナにしたとしても、丁寧に説明しなければ、多くの人はわからない。そして、説明をするごとに意味がずれることもある(笑)。3つ目は、……これは私からの質問です。そもそも、「日本のアール・ブリュット」や「日本のアウトサイダー・アート」を定義することができるのでしょうか。「アール・ブリュット」という言葉を作った画家のジャン・デュビュッフェの定義では、存在そのものがアイデンティティであって、国籍の壁がないのです。

私たちは作家からほとばしるエナジーを感じ、心を動かされる。

―― 国籍の壁がないということは、地域性もないということでしょうか?

いえ、地域性がないという意味ではありません。日本におけるアール・ブリュットには様々な特徴があります。特に「手先が器用な作品」が多い。たとえば〈やまなみ学園〉の鎌江さんや〈工房集〉の野本竜士さんの用いる接着剤など、非常に細かい作業が繰り返される作品があります。素材の選択も非常に面白いですね。接着剤なんてほかの国で見たことがない(笑)。

ドローイングでも徹底的に描くという特徴があります。そして、描写する線そのものに豊かな表現が含まれています。日本に漢字文化があるから、線の豊かさが生まれているのではないかと解釈しています。

最後に申し上げたい特徴は「執着」です。線、素材、切り込みなどを執拗に繰り返す。また、小さなスペースに息苦しいぐらいにものを詰め込む作品がある。文学を含めた日本文化に時折、そのような傾向を見ることがあります。「偏愛」とでも表現しましょうか。紫式部や三島由紀夫の文学にも、大島渚の映画にも、草間彌生のアートにも「偏愛」を見ることができる。日本の美術教育は伝統的に素材から学び、可能性を引き出す傾向がある。だからでしょう、アール・ブリュットにも紙、粘土、紙、木、墨などの可能性を発見しているように感じます。日本は素材に学ぶ傾向があるのです。

西洋の美術教育は、最初にアイデアがあります。そして、アイデアを実現するために技術や素材を探す。最近の美術学生たちはあまりドローイングをしない。コンセプチュアル・アートの登場で、必ずしもアーティスト全員が描く必要がない。ですが、科学の共通言語は数学です。私は学生達には、必ず描いてほしいと伝えています。ドローイングはアートの共通言語なのですから。

私は本物のアーティストは息をするように「描かなくてはいけない」と思う。多くのアール・ブリュット作家たちは作品を毎日作ります。止まらない人もいる。その姿に、私は力強いエナジーを見ます。私たちは作家からほとばしるエナジーを感じ、心を動かされる。日本や世界という国籍は関係ない。アートを学んだ、学んでいないは関係がない。私は展示を見た瞬間、作品に触れた瞬間、心が震える瞬間が大好きです。私は本当のアーティストのエナジーを常に探しているのです。


PROFILE関連人物

エドワード M. ゴメズさんの顔写真

エドワード M. ゴメズ

(英語表記)Edward M. Gómez

(エドワード M. ゴメズさんのプロフィール)

雑誌『RAW VISION』編集者。ジャーナリスト、評論家、グラフィクデザイナーなど様々な顔を持ち、アール・ブリュットの研究家として世界のアートシーンで活躍している。

(エドワード M. ゴメズさんの関連サイト)