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(カテゴリー)インタビュー

写真は人生を見守る灯台、未来を照らす道しるべ

浅田政志 [写真家]

クレジット

[写真]  浅田政志

[構成]  岡田カーヤ

読了まで約11分

(更新日)2020年10月09日

(この記事について)

消防士、レーサー、バンドマンなど、さまざまなシチュエーションに家族全員でなりきって撮影した写真集『浅田家』。家族写真のありかたを考え、これまでとは違う写真のおもしろさを発表・提案している浅田政志さんは言います。写真にはまだまだできることがあるのだと。

本文

写真集『浅田家』。著書『アルバムのチカラ』とともに原案として、映画化された『浅田家!』が全国東宝系にて公開中。

記憶に残るような撮影になると「いい写真」になる

― 浅田さんを含め家族4人がさまざまな職業やシチュエーションにいる人々になりきって撮影された写真集『浅田家』はページをめくるたびに、それぞれのなりきり具合やキャラクターがにじみでていて、おかしみと愛おしさがわいてきます。浅田さんはよく「写真はひとりでは撮れない」とおっしゃっています。こうした写真を見ていると、なるほどと思います。

 

写真はカメラさえあればどこへでも行って撮れるので、個人プレーに思われがちです。たしかに、一人で完結できるという強みもあるのですが、僕の場合はそうじゃない。家族がひとりでもイヤと言ったら撮れないし、消防署やサーキット場など、協力してくれる人が許可をしてくれなかったら撮影できません。いろいろな人が関わっているので、ひとりでつくっている感覚はありません。いろいろな人に助けてもらいながら撮っている、お世話になりっぱなしの作品です。

浅田家 F1/2006年

― なるほど『浅田家』など、浅田さんの写真にはそうした関係性をすごくよく感じられます。
家族の意見だけでなく、まわりで見ている消防士さんたちが「ホースの持ち方はこうしたほうがいい」「こうしたらもっと本物っぽく見えるよ」などアドバイスをしてくれるんです。自分ひとりで考えていると限界があるのですが、現場の方の声を聞くとがぜん良くなっていきます。現場では写っていない人も作品に参加しているんです。すると、その人にとっても「一緒につくった」という思い入れのある写真になるし、そうなっていくのがすごくうれしいんです。チームメイトが多くなればなるほど、写真もどんどん広がっていくので。

 

― 写真が広がっていくとは、どういうことでしょう?
それぞれの人が、自分が関係した写真だと思ってもらえると、その写真をまた違う誰かに見せますよね。すると、写真を見る人が増え、写真が広がっていくんです。『浅田家』のような撮影方法を「セットアップ写真」というのですが、同時にこういう撮影方法も広がっていけばいいと思っています。

 

― 「セットアップ写真」というジャンルがあるのですね。
はい。それ以外にも、「演出写真」「ステージドフォト」という呼び方もありますが、あまり一般的ではないかもしれません。 写真ってどちらかといったら、まちを歩いているときに見たものや風景、人の表情など、流れていく時間をカメラマンのテクニックで切り取るみたいなイメージをもたれていますよね。 それに対して「セットアップ写真」は、つくり上げる写真のことをいいます。そのままを撮るのではなく「どういう写真を撮ろうか」から始まって、「それにはどういう場所が適切なのか」「どういう服を着ようか」「そこにいるのはどんな人か」「どういう表情がいいのか」「どんな光があたるといいのか」など、絵を描くように写真をつくり上げていくんです。 セットアップ写真というと聞き慣れないですが、集合写真もそのひとつ。「ここに集まろう」「顔が見えないから、後ろの人は一段上がろう」「逆光だからこっちからとろう」「全員ピースしよう」とか、軽い演出が入りますよね。

浅田家 バンド/2005年

― 絵のようにつくりあげる写真を撮影するときに大切にしていること、目指すところはどういうものですか?
写ってくれる人全員、そして僕も含めて、記憶に残るような撮影になって、それがいい思い出になることがベストです。

 

― 大切なのは記憶と思い出! 
目指すのはいい写真を撮ることでもあるのですが、現場でみんなが楽しく感じて、今までにない経験だった、いいひとときだったって思ってもらって、そこに思い出が詰まっていると、写真を見返したときに撮影現場の空気も感じられる。結局、そこを大切にすると、写真は良くなっていくんです。

 

― 結局は現場が大切。
ビジョンも重要ですが、現場でそれをさらに良くしていきます。セットアップ写真の悪いところは、つくられた世界観の、おもしろくない写真になってしまいがちなところです。でも、そこにイキイキとしたライブ感のようなものを入れると、その世界が嘘か本当かわからなくなる境界線を超えてしまうんです。

 

― たしかに『浅田家』は、嘘と本当の境界があいまいになっているから、見ている人を引きつけるのかもしれません。そして、なぜか笑えてしまう。
笑いを目指しているわけではないんですけどね(笑)。いい写真を撮るために、汗を流しながら、悩みながら撮っています。真剣になりきって、へんなことをやっているから、笑える感じになるのかもしれません。でも、それを前面に押してはいません。もちろん、おもしろいと思って『浅田家』を見てもらうことはとてもうれしいことではあります。

 

― 浅田さんの家族写真は、最初からこうしたスタイルだったのでしょうか。
はじめは家族共通の思い出を再現していました。でも、それだとすぐにネタがつきてしまって、どうしようとなったときに、未来の家族だったら、浅田家全員で消防士になっているかもしれない、全員で泥棒になっているかもしれないと考えたんです。

 

― 過去から未来へ。
すると、撮れる範囲が広くて制限がない。制限がないから、どんどん撮りたい写真が浮かんできた。そうして7年くらいかけて家族写真の撮影をしていったら、家族の新しい思い出が増えたことを発見したんです。だから、『浅田家』の写真集は両面とも表紙になっていて、片方が作品、もう片方がオフショット風の写真。撮影の現場が重なることで、思い出が生まれていくことを本として表現しています。

― そういう体験があったからこそ、撮影が良い思い出として記憶に残ったほうが、写真自体も良くなるという確信が生まれたのですね。

 

そうですね。極端なことを言ってしまえば、写真が生まれて200年くらい経ちますけど、写真がなかった時代は自分が経験したことを、エピソードとともに自分の頭の中で覚えていたと思うんですよ。でも、今では自分の記憶が簡単に写真上で残せるので、どうしても人間の記憶力が悪くなっている(笑)。

 

とはいえ、自分の記憶を写真に置き換えることで、記憶力が後退した反面、写真を撮ることで、新しい思い出ができるという価値もあると気づいたんです。記録や記憶に残すのではなく、撮影自体をイベントにして新しい思い出を生み出す。記憶が生まれるような写真の撮りかたをすればいいと考えたんです。

 

『浅田家』の写真は、ワンカットを撮るのに一日かけています。写真を簡単に撮れる時代に、一枚に一日かけるなんて信じられないかもしれません。でも、みんなでいろいろ考えながら、思い出の詰まった一枚を撮っている。僕、特別な写真って、そんなにたくさんなくていいいと思っているんです。思い入れのある写真が数少なくてもあればいい。

浅田家全国版 岡山県/2016年。現在、年に一回、47都道府県のどこかへ行き、家族写真を撮影している。


写真の良さは「未来のいつか」にある

― ところで、浅田さんにとっての「いい写真」って、どんな写真でしょう?
写真っておもしろいなと思うのは、自分が見るときによって、見え方が変わることだと思うんです。たとえば生まれた子どもの写真を撮って1年後に見ると、「こんなに成長したな」と思う。10年後には子どもも10歳になって、30年後には「あんな小さかった子がもう結婚か」となるかもしれない。つまりは経過した時間も含めて鑑賞しているんです。ということは、1枚の写真の重みや、写真が自分に送ってくるメッセージが時間の経過とともに変わってくる。 だから写真ってひとつの基点だと思うんです。灯台のような存在で、自分がどんどん動いていく。そうして、自分が動いた道筋が写真によって照り返されて、今どこにいるか、どうやってそこに来たかがわかるんですよね。 写真の良さって「未来のいつか」にある。今、判断できることは意外と少なくて、いつかなにかのときに、自分の人生を語ってくれるという作用が、写真のもっている可能性かなと思っているんです。それは両親が亡くなるときかもしれないし、自分が病気にかかったとき、息子が結婚したとき、引っ越ししたときかもしれない。だからこそ、最近、興味があるのは、写真を見返すためにはどうしたらいいかということ。

 

― たしかに近頃、現像をしたり、実際のアルバムをつくったりする機会はほとんどないです。
最近、みんな撮り方がうまいですよね。プロのカメラマンじゃなくてもすごく上手に撮っている。でも、写真の残し方は多くの方が無頓着。スマートフォンにいれておけばいいと思っているかもしれないけど、5年10年経ったら消えてもおかしくない。何十年先までは残らないものがほとんどでしょう。 結局、写真はプリントするのがいちばん見返せる形なんです。アルバムをつくったり、飾ったり、缶に入れておくのでもいい。全部プリントしなくても、一年の中で、お気に入りベスト10くらいでもいい。プリントして、自分の大切な思い出として残すことをおすすめしたいです。

― 映画『浅田家!』の後半で描かれている、東日本大震災の被災地で写真洗浄のボランティアをしていたときのエピソードは、写真のもつ力を感じられました。
あれだけの被害の中でも「写真を見たい」「写真を助けたい」という人たちがいて、津波で家が流されてなにもなくなったけれど「写真が一枚戻ってきてよかった」とおっしゃるかたもいらっしゃいました。写真のもつ力を改めて教えてもらいました。 写真洗浄のときに感じたのは、昔の写真ばかりだということです。2011年当時でも、デジタルの写真はたくさんあったはずだけど、洗浄の対象になるのはデジタルになる前の写真ばかり。最近の写真はプリントされていないということが、写真洗浄現場でわかってしまった。おそらくパソコンの中にはあったと思うのですが、パソコンを開けるわけにはいかないし、水没したら救えないものも多いでしょう。

 

― 現像しているからこそ、時を経ても写真と再びめぐりあえる。
そう。だから僕は写真家として、写真を残す意識をおもしろく提供したい。そして、残すことの大切さに気づいてもらえるような活動をしていきたいと思っています。 今、バナキュラー写真というのに興味があるんです。バナキュラーって、土着的なという意味で、バナキュラー建築というと、その国特有の建築のことをいいます。日本でいうと白川郷や沖縄の建築物がそう。気候風土に合わせて素材や建て方が決まってくる建築士のいない建築です。 同様に、バナキュラー写真というのは誰が始めたかわからないけど、いつの間にかひとつのスタイルを築いた写真。日本でいうと遺影もそうだし、七五三、結婚式、写真館で撮る家族写真などもバナキュラー写真です。
アートの写真はパーソナルではなく、普遍的なもの、人に訴えかける批判性があるべきとされている。もちろん、そうした写真は素晴らしいし、そこに価値を認めたうえで、僕はあえてバナキュラー写真を扱っていきたいと思っているんです。バナキュラー写真にこそ人との密接な繋がりがある。バナキュラー写真に新しい価値観を見つけて、毎日のなかで活きてくるような活動に興味がでてきているんです。バナキュラー写真も組み替えればアートになるはずだから。

浅田家全国版 鳥取県/2015年

― 生活の中にある写真をアートにする。

そういう作品を撮っていきたい。だから新しい写真集は、赤ちゃんの写真と遺影をテーマにした2冊です。

200年ある写真史のなかで、生まれたばかりの自分のお子さんをテーマにした作品はほぼありません。みなさん絶対に撮っていると思うんですけど、それはバナキュラーすぎて作品にならない。自分の思いが強すぎるから、写真に批判的、普遍的なメッセージを込められないんです。初めて行く山とか、遠い国の戦争の写真はたくさんあるのに、一番身近な子どもの写真がない。

でも僕は、家族写真の中に、「生まれたばかりの赤ちゃんの写真」という大きなジャンルがあると思っていたので、自分の子どもが生まれるときにチャレンジしました。

遺影も同じ。とくに日本では、生前に遺影写真を撮るのはすごく不吉とされていて、まず撮らない。それで、亡くなられて慌てて用意するのが、集合写真の写真を引き伸ばしたものだったりする。服装がカジュアルすぎるから、首から下は誰か別の人と合成するなんてこともよくあります。ピンボケの場合もあるし、なんでこんな表情しているんだろうというものもある。果たして最後の一枚が、その方を象徴するものとしてふさわしいのかどうかという写真が多いんです。

それって、写真をやっている僕からするとすごく寂しい。遺影写真にももっとバリエーションがあっていいし、可能性があるのではないかと思って、おやじと共同作業で撮ったものを写真集にしました。

写真集『浅田撮影局 まんねん』浅田政志著(青幻舎) 自身の息子「朝日」を撮りおろした作品集。「千年、万年と末長く幸せに過ごしてほしい」という普遍的な願いが込められる。

写真集『浅田撮影局 せんねん』浅田政志著(赤々舎) 自身の父、「章」を撮りおろした作品集。遺影の撮り方を模索してさまざまなアレンジを試みる父と息子の関係性も映し出される。


大切なものを見直すきっかけになればいい

― 浅田さんの写真は、「浅田家」という他人の家族を見ているのに、見た人が自分の家族に置き換えて考えるという強さがあるので、今後、赤ちゃん写真や遺影写真のありかたも変わってきそうです。
本当に。最初は、どうやったら家族の個性がでるかと考えて撮っていたのですが、浅田家を見た人が「自分の家族を思うきっかけになりました」「うちだったらこの場所で撮りたい」とか、自分のことを感想で言うんです。つまり、僕の家族をとおして、みなさんの家族を思ってもらっている。それに気づいたときは、そのことのほうに価値がある、いつも一緒にいて当たり前の家族という存在を、また違った方向から見たり、改めて感じられたりする。自分のこととして置き換えて見てもらえる価値が家族写真にはあって、それこそがやりたいことだと気づいたんです。

 

― 今は家族の形もいっぱいあります。写真を撮ることで家族になっていくこともあるかもしれないですね。
家族も広いとらえかたができる。籍を入れてなくても何十年も一緒に暮らしていたら家族だろうし、ペットも家族だろうし、血縁ではないのでしょうね。写真が進むべき方向を示してくれればいいと思っています。 僕、家族写真ではそのご家族がもっている素敵な面を撮りたいと思っているんです。家族だからいいところもあれば、やっぱりうまくいかないところもあって、それは必ずセットだと思うんです。それを踏まえたうえで、家族みんなが思い出に残るような、いい面を引き出したい。そして、その写真をみんなが目につくところに飾る。日本って写真を飾る文化があまりないですよね。家族を恥ずかしがったり、見せない文化もある。でも、友達の家族にあうと、その人のことを急に身近に感じたりもしますよね。 だからこそ、家族で撮った写真を飾ることで、こういう家族になればいいなと道しるべのような存在になると最高だなぁと思います。


映画『浅田家!』 ©2020「浅田家!」製作委員会

◎Information
『浅田家!』
全国東宝系にて公開
監督・脚本:中野量太 脚本:菅野友恵
原案:『浅田家』『アルバムのチカラ』(赤々舎刊)
出演:二宮和也 黒木 華 菅田将暉 風吹ジュン 平田 満 渡辺真起子 北村有起哉 野波麻帆 妻夫木聡
©2020「浅田家!」製作委員会

[STORY]
写真家・浅田政志を主人公に、どうして彼が「家族」を被写体として選び、撮り続けるのか。家族とは? 写真の力とは? 身近で当たり前の存在に改めて気づかされる。

公式Webサイト:https://asadake.jp/


関連人物

浅田政志

(英語表記)ASADA Masashi

(浅田政志さんのプロフィール)
写真家。1979年三重県生まれ。日本写真映像専門学校研究科を卒業後、スタジオアシスタントを経て独立。2009年、写真集『浅田家』(2008年赤々舎刊)で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。著書には東日本大震災の津波被害にあったアルバムや写真を洗浄し、持ち主に返す活動をする人々を約2年間にわたって撮影した『アルバムのチカラ』(2015年赤々舎刊)などがある。
(浅田政志さんの関連サイト)