STORIES
めがねをはずし、一点を見つめ、なにかが考えるイッセー尾形さん

(シリーズ)イッセー尾形の 妄ソー芸術鑑賞

(このシリーズについて)

縦横無尽な妄ソーで、見ている人を独自の物語世界へ誘うイッセー尾形さんが、障害のある人たちのアート作品を鑑賞。自由に妄ソーの翼を羽ばたかせました。そこからなにが生まれるか? アートはもっと自由に楽しんでいいのです。

vol.13『スコッチドラゴン』

(この記事について)

高い塔の上でたったひとり暮らす王様。家来や村人が逃げたあとも一人とどまり、空へ向けて矢を放つ。

(更新日)2022年02月25日

本文

今回の共演者

畑名祐孝
HATANA Hirotaka(1976〜)

1976年生まれ。滋賀県在住。墨汁やクレヨン、パステルなどを使い、ダイナミックに制作を行う。高校卒業後に〈やまなみ工房〉に入所し、本格的に描き始める。繰り返しモチーフとして選んでいる東京タワーは、高校の修学旅行で目にしてから数年後に描き始めた。現在は〈バンバン〉に所属し、アトリエ活動があるときに描いている。2003年「Three/Free/Pleaバンバン3人展」ギャラリーマロニエ/京都府)、2010年「アール・ブリュット・ジャポネ展」(パリ市立アルサンピエール美術館)出展。

「東京タワー」/760×350mm/黄ボール紙にパステル、クレヨン、墨汁/2002〜2003年/日本財団所蔵

 

スコットランドのとある田舎の話です。

 

山奥に美しい湖があって、そのほとりに建っている塔の最上階に王様が住んでいます。
ずっとひとりで住んでいて、外にも出ません。

 

塔の下には家来たちがいますから、日常の食事は運んでくれるし、必要なことは全部やってくれる。王様ひとりでも、なんの不自由もない。いつだって自分の領地を見下ろすことができる高い塔の上で、王様は幸せに暮らしていました。

 

平穏な日々を過ごしていたのですが、ある日、塔の下が賑やかだ、騒がしいってことで、王様はとうとう塔を下りようとするのですが、扉が重くてなかなか開かない。しかも扉が何重にもなっているから、なかなか下までたどり着けない。ようやく最後の扉を開けて地上に着くと、ちょうど最後の家来が出ていくところだった。

 

「どうした、どこへ行くんだ?」
「王様、ここは危ないですから、私たちは逃げているんです。王様もぜひ逃げてください」 「なんで危ないというのだ?」
「王様は知らないんですか? 夜中に空を歩き回るドラゴンがいるんですよ」
「なに、ドラゴン?」

 

王様が驚いているうちに、家来はみんな出ていってしまいました。

 

王様は逃げることなく、一人残って塔の上へと戻ることにして、丸い窓から外を眺めていました。すると、夕方近くになって、足跡らしきものが点々と見えてきた。なんと空にまで。足跡を付けているやつの正体は見えないんですが、そいつこそがドラゴンに違いないと気づくんです。

 

「東京タワー」/760×350mm/黄ボール紙にパステル、クレヨン、墨汁/2002〜2003年/日本財団所蔵

 

一方、逃げた家来や村人たち。 とある村人が王様のことを思い出して、
「王様もきっと逃げているだろう」
と口にしたら、

 

「いや、王様は今もひとりであの塔の中にいるらしいんだよ」
と最後に王様を目撃した家来が言います。

 

それを聞いた村人たちは
「うそだろ」
「どうするっていうんだ、あんな怖いところで」
とざわめきました。

 

「東京タワー」/760×340mm/黄ボール紙にパステル、クレヨン、墨汁/2002〜2003年/日本財団所蔵

 

夜になってもやっぱりドランゴンの足跡は、空一面に点々と続いています。

 

「ドラゴンは、昼はどうしてるんだろう」
ある日、ひとりの村人が口にしました。

 

すると、昼間ドラゴンを見かけたという村人がでてきました。
ドラゴンらしき生き物のシルエットが、湖面から顔を覗かせているというのです。

 

それが、塔が建つ隣の湖。
名前はネス湖といいます。

 

ネス湖の怪物は夜になると、ドラゴンになって塔のまわりを飛び回り、空に点々と足跡を付けているんです。そのことに気づいた王様は退治してやろうと思い、塔の上から矢を射るんですが、手応えがなにもない。

 

命中しているはずなのに、射っても、射ってもドラゴンはダメージをうけることなく飛び回っています。王様はあきらめることなく、来る日も、来る日も矢を射続けました。

 

そんな王様の様子を、村人たちは遠くから眺めていたのですが、あるときから王様の姿が見えなくなりました。

 

「王様がいなくなったらしい」
「じゃあ、塔から落ちて死んだんじゃないか」
「いや、ドラゴンが怖くて逃げたに違いない」

 

そんなことをみんなで噂しながら、夜になると空に浮かぶ足跡を眺めていると、
「あれ、でも、足跡の形が以前とは微妙に違うぞ」
と気づいた村人がいました。

 

それを聞いて、王様の塔に出入りしていた家来がはっとします。 「あの足跡は、王様が履いていた靴のものにそっくりだ」 「ということは、あの足跡は王様のものなのか?」
「王様は夜中、空を歩いている?」
「王様はドラゴンになったのかもしれないぞ?」
「ちょっと待て、もともとドラゴンだったということも考えられるんじゃないか?」

 

村人たちは口々に考えを言い合いましたが、しばらくすると考えるのをやめました。
なぜなら「もう王について語ってはならぬ」と新しくできた議会で決定されたからです。

 

そんなお触れがでてからというもの、逆らった人は首をちょん斬られて蹴飛ばされてしまいます。時代は近代民主主義にとって替わろうとしていて、科学の発展により迷信的なことはことごとく却下されたのです。

 

そうはいっても空の足跡は厳然としてあります。ゆえにあれは「大気における錯覚的自然現象にすぎない」とされました。それ以上の詮索はまかりならんと。

 

それでも、それを呼ぶのに「王様の足跡」と名付けることだけは黙認されました。だから今でも錯覚好きな人ならいつでも見られますし、王様もきっとそれを待っていることでしょう。

 

(おしまい)

 

 

<<イッセー尾形の妄ソー芸術鑑賞術>>

俳優、脚本家、演出家として、ひとり舞台で日々新たな世界を生み出すイッセーさんに、妄ソーを楽しく行うためのコツをうかがいました。

舞台装置に時間軸が加わって物語は展開。
言葉が語られることで世界はつくられていく

 

物語において場所って大事ですよね。誰といるかよりもまずは場所。芝居だったら自分が立つための舞台装置です。

 

今回の発想はロンドン塔からでした。塔には王様がいて、そこは自分の城であると同時に牢獄であるという設定がおもしろいなと思ったんです。でも、そうすると足跡の説明がつかない。だから都会を離れて、ネス湖に行きました。この絵のもっている底知れなさが引っ張る力になったのでしょうね。

 

場所が舞台装置だとしたら、物語の骨格は作品自体からもらっています。それはひとつではなくて、たいていいくつかある。だからそこに展開が生まれるんです。

 

だいたい3つくらいあると、時間軸が生まれて展開ができます。作品自体がもっている時間が立ち上ってくるんですね。その時間があるから展開したくなる。物語とそれを紡ぎ出す時間はイコールですからね。

 

物語を進めていく力は、登場人物のキャラクターをどうつくるかではなくて、それぞれの登場人物がどんな言葉をもっているか。キャラクターを決めるのは言葉ですから。

 

表面的な「口癖」でキャラクターを表すこともできますが、根本的に「世界をどう捉えているか」を表すのも言葉。人は世界を言葉でとらえているから、その言葉自体がキャラクターになるんですね。

 

「人間関係は食うか食われるかだ」というふうな世界観をもっている人と「みんな平等だ」という世界観をもっている人では、出てくる言葉が違ってくる。それは対になっているもので、ひとりでは完結しない。それぞれの取り巻く世界が言葉として出てくるんです。

 

僕がいつもやっているひとり芝居は、会話の相手がなにを言ったか、舞台に立つ人物の反応だけで想像してもらいます。相手がなにを言ったのか、多少の驚きくらいでは想像できないから、必ず驚くべき反応となる。だから、僕がテレビドラマに出て演じると、浮いてしまうんですよね。こちらの反応だけで想像してもらうという芝居が習慣になっているので(笑)。

 


PROFILE関連人物

イッセー尾形

(英語表記)Issey OGATA

(イッセー尾形さんのプロフィール)

1952年、福岡生まれ。1971年演劇活動を始める。一人芝居の舞台をはじめ映画、ドラマ、ラジオ、ナレーション、CMなど幅広く活動。高い評価を得ている。近著に『シェークスピア・カバーズ』(スイッチパブリッシング)。

(イッセー尾形さんの関連サイト)

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