ストーリー
【写真】何怡璉(ホー・イーリェン)とベティー・アップル

(カテゴリー)インタビュー

台湾ダイバーシティー・イン・パフォーミングアーツ・レポート

何怡璉(ホー・イーリェン)/ベティー・アップル[アーティスト]

クレジット

[写真・文]  水田拓郎

読了まで約14分

(更新日)2023年02月22日

(この記事について)

アジアをリードする多様な社会が実現しつつある台湾で、障害のある人たちとの協働や性の多様性をテーマに作品作りをしている最前線で活躍する2人のアーティストにインタビューをした。

本文

歴史的にも文化的にも日本と深いつながりを持つ台湾。近年はアジアをリードする多様な社会として世界的にも注目されている。1)
そんな台湾で障害のある人たちとの協働や性の多様性をテーマに作品作りをし、パフォーミングアーツの最前線で活躍する2人のアーティストにインタビューをした。

1)台湾のリーダー、蔡英文(ツァイ・インウェン)は女性として初の総統に選ばれ、画期的な政策で知られるデジタル大臣の唐鳳 (タン・フォンまたはオードリー・タン)は自らトランスジェンダーであることを公表している。また2017年には唯一アジアで同性婚が法的に認められ、2022年には片方のパートナーが外国籍の同性婚も受理されている。こうした背景には2004年にジェンダー教育を義務付ける「ジェンダー平等教育法」が施行されたり、海外の動向に敏感な若者たちの姿がある。昨年発表されたフレーザー研究所(カナダ)の「人間の自由度指数」では、台湾はアジア最高位となる世界14位にランキングされている。


【写真】舞台の上で違う障害のある演者たちがそれぞれ別の方向を向いて演じている

『我是一個正常人二部曲:我們一起撿到槍(私は普通の人だパート2・一緒に見つけた銃)』(2020年)写真:林峻永(空表演實驗場より提供)

真の「遭遇」を求めて〜
何怡璉(ホー・イーリェン)インタビュー

身体に耳を傾ける東洋思想

DIVERSITY IN THE ARTS TODAY(以下、DA)
アメリカやイギリスで長年活動されていましたが、バックグラウンドについて教えてください。もともとはご自身もパフォーマーだったんですか?

何怡璉
はい、パフォーマーとして舞踏、即興、フィジカルシアターなどの分野で活動してきました。以前は欧米の前衛的なアーティストのナムジュン・パイクやマリーナ・アブラモビッチ、そしてジョン・ケージなどを仏教や道教における「空無(くうむ)」の概念を通して解釈し直すような作品を作ってました。そしてそれらの制作や研究を通して身体を中心に考えるようになりました。

近年になって障害のある人たちと制作しているものは主にディレクターとして作品に関わっていますが、その場合もあらかじめ用意された脚本を使うのではなく遊びに近いような即興や、息遣いの練習を通して自らの身体に耳を傾けるところから始めています。

DA
どのような経緯で障害のある人たちと共同制作をするようになったのですか?

何怡璉
私にとって空無の哲学や概念がアイデンティティーとその政治性を考える上でとても重要なものとして感じられるようになりました。一般的には何もない状態や何か抽象的な宗教観として捉えられがちですが、私は倫理的な部分に注目することで、他者と違う自己という精神性だけではなく、共感を通して周りの現実世界がどのような関係性で成り立っているのかを理解できると考えています。そしてそれが政治性や社会の力になりえると思ってます。

台湾に戻って生活するようになって、この考え方を表現に取り込むことで真の意味での他者との遭遇や相互につながりあう状況を作り出せるのではないだろうかと考えるようになりました。

ブレイクダウンの先にあるもの

DA
ご自身が主宰する「空表演實驗場 Kong Performance Experimental Field」について教えてください

何怡璉
2018年に陳宜君(チェン・イージュン)とともに設立し、同年に『我是一個正常人 (私は普通の人だ)』(2019)を発表しました。この作品は脳性麻痺の障害のある謝筱君(シェ・シャオジュン)によるソロパフォーマンスです。彼女は私たちのワークショップで出会いました。そのワークショップでは簡単な動作、例えば「A地点からB地点まで転んでください」といった指示のもとで体を動かしたりしたのですが、謝さんの身体をみた時にまるで映画をみているかのように、自分の中でさまざまな物語や感情が溢れ出てきました。それで私たちは謝さんとともに作品を作りたくて「空表演實驗場」を立ち上げたのです。

2作目『我是一個正常人二部曲:我們一起撿到槍(私は普通の人だパート2・一緒に見つけた銃)』(2020)ではろう者、脳性麻痺、ポリオ、視覚障害のある人たちなど多様なメンバーで作りました。しかし障害のあるパフォーマーたちと作品を制作することが目的ではなく、より広い意味でアートがいかに社会や日常生活と接点を持てるかをテーマに活動をしています。

DA
パフォーマーたちとはどうやって出会ったのですか?支援団体や福祉施設とのコラボレーションだったのでしょうか?

何怡璉
いいえ、Facebookやソーシャルメディアでの私たちの呼びかけで集まった人たちです。私たちは制作の過程にとても時間をかけます。3ヶ月間一緒にワークショップをし、その後3ヶ月かけてそれぞれのメンバーと対話をしてステージで何をするかを決めます。その後本番に向けてリハーサルに入ります。この期間、週3-4回3時間一緒に過ごすため、それぞれの参加者自身による続けるための意志や表現したいという気持ちが必要になります。

台湾では多くの支援団体はアートをセラピーや友人を作るための活動として取り入れているため、このように長い時間をかけて深く関わることがなかなかできません。

【写真】何怡璉さん

オンライン上でのインタビューに答える何怡璉(ホー・イーリェン)さん

DA
応募してきた人たちはすでに演劇やパフォーマンスの経験者たちですか?

何怡璉
いいえ、皆パフォーマンスや演劇制作は初めての体験でした。ですからお互いの違いが保たれつつ、全員が安心して参加できるような状況を作り出すのが大事でした。意見が合わなかったり、意思の疎通が難しくなるようなコミュニケーションが破綻する、「ブレイクダウン」がしばしば起こるのですが、私は本当に相手を受け入れるためにはこのブレイクダウンがないといけないと思っています。皆が一つになることを目指すのではなく、意見が合わない時にその状況を受け入れ、そこから協働することが本当の意味での寛容性や共生だと考えています。

しかしこういった状況を作り出すことは簡単なことではありません。一概に「障害者」と言ってもそこにはさまざまな違いが存在し、ろう者のコミュニティーと視覚障害者のコミュニティーが交わる機会もそんなにありません。20代前半から60代の違う障害のある人たちが最初に集まった時、価値観も含めて本人たちが一番大きな違いを実感したと思います。ただこの混沌とした状況の中で、本当の他者との遭遇があり、長い時間をかけることでお互いを信頼できる環境を作り上げることができました。そしてその信頼の先にそれぞれが表現したかったことや、今までできなかったけれどもやってみたいことなどを少しずつ全員で後押ししていきました。

【写真】舞台の上で自らの足では歩行が困難な演者が車椅子から降りて演じている

『我是一個正常人二部曲:我們一起撿到槍(私は普通の人だパート2・一緒に見つけた銃)』(2020年)写真:林峻永(空表演實驗場より提供)

身体自らが問いかけるダイレクトな表現

DA
こういったプロセスから生まれるパフォーマンスは最終的にはどういったものになったのでしょうか?

何怡璉
例えば「ステージの上を歩いて」という指示を出すと、その状況の中で違う身体の存在が現れます。普通に歩ける人もいれば、車椅子を使う人もいる。車椅子を使う人が使わないと、地面を這うことになる。そうすると「歩く」ということがどういう意味なのかを身体自らが問いかけることになります。

また手話を自由に解釈し、それぞれの参加者に自己紹介してもらったりもしました。このようにパフォーマーたちが表現したいことや共感できることをみつけ、その中で伝えることが難しい部分や伝えようとすると破綻してしまう部分をどうやって表現できるかを考えていきます。

DA
お客さんの反応はどんなものでしたか?

何怡璉
謝さんと作った最初の作品では、私自身が倫理的な境界線がどこにあるのかわからず、とても気を遣った礼儀正しいものになったような気がしました。しかしその気遣い自体が、私の中にある先入観だと感じるようになりました。ですから2作目では観る側の先入観を意識させるために、パフォーマーたちにとっては難しい動きや長い沈黙を取り入れ、観客にとっては居心地悪く感じるような場面もありました。

リハーサルの段階で何度も話題にあがったことなのですが、社会の中で障害者は守らなきゃいけない存在であったり、自らの意志を伝えることのできない幼児のように扱われることがよくあります。だからそのような状況をオブラートに包んだような表現ではなく、ダイレクトに訴えかけるような演出にしようと参加者たちと一緒に決めました。ただこれが障害者を無防備に晒しているとか、家族の人たちにとっては辛い表現だと言われることもありました。

「遭遇」の場を求めて劇場から公共空間へ

DA
今後も同じような手法で障害のある人たちと劇場作品を制作していく予定ですか?

何怡璉
いいえ、少し違った方向に進んでいます。2020年に台湾南部の地方で障害のある人たちが文化やアートにいかに参加できるのかをリサーチする大きなプロジェクトをしました。そこでは障害のある人たちが美術館や劇場へ行く際にどのようなことを体験しなければならないのかを検証しました。台湾では多くの文化施設や団体はダイバーシティーやインクルージョンを新しい指針にあげています。しかし実際にはアクセシビリティーサポートのあるバスの時刻表が見つからなかったり、適切なガイドツアーが用意されていなかったりと、作品を体験する以前にさまざまなハードルがあることがわかりました。

また私たちにとって特に興味深かったのは、例えば劇場で観客席へは車椅子でアクセスできるのに、楽屋からステージへは階段があり車椅子ではいけない。リハーサルスタジオでも床が傷つくために車椅子禁止のところが多くある。そこには障害のある人が観客であることはあってもアーティストや表現者であることはないという先入観があることがわかりました。

2022年の12月から大学の学生と障害のある一般市民と一緒に高雄市内の公園でワークショップをはじめました。まずは違いのある人たちが遭遇し、知り合うための状況を作っています。

DA
劇場ではなく公園のような公共の場を選んだのはなぜですか?

何怡璉
先ほど話したアクセシビリティーの問題もありますが、経済的な問題もあります。どんなに助成金を申請しても、とても長い間コミットしてくれるパフォーマーよりも短い期間しか関わらない劇場やその制作スタッフに多くのお金を割り当てなければなりません。一部の人しかアクセスできない場所で、多くのリソースを消費してしまう作品制作の過程自体に疑問を持ち始めました。公園などの公共空間は全ての人に開かれているだけではなく、そこで何かをすることだけで新しい意味が生まれます。また1、2年という長い時間をかけて、私たちの日常の中でどんな作品が作れるのか考えていく予定です。

(埋め込みコンテンツについて) 空表演實驗場の作品『我是一個正常人二部曲:我們一起撿到槍(私は普通の人だパート2・一緒に見つけた銃)』(2020年)

(埋め込みコンテンツの説明) 【YouTube動画】


未来に語りかける自由とトランスフォーメーション〜
ベティー・アップル
インタビュー

【写真】未来的な人魚の姿をしたベティー・アップルが水面から顔を出している

ベティー・アップル 写真:MW Studio

演劇からサウンドパフォーマンスへ

DA
現在の活動はボディーアート、サウンドアート、即興パフォーマンス、DJ、さらにイベントプロデュースなど多岐に渡っていますが、バックグラウンドについて少し教えてください

ベティー・アップル
台湾南部の嘉義 (ジャーイー)市で生まれ育ちました。幼い頃はピアノを習っていて、とても好きだったんだけど、母親が勉強の妨げになると思ってやめさせられました。中学、高校では友達は不良ばかり、でも私だけは学校の成績が優秀でした。大学ではやっぱりクリエイティブなことがしたくて、美大を受けることに。デッサンや楽器の演奏ではとても受からないので、面接試験だけで入れる国立台北芸術大学の演劇学科を受け、合格して台北へ移り住みました。

その学科では役者か演出家のどちらかのコースを選択しなければいけなかったのだけれど、私は先生から「両方をやってみたら」と勧められたので、最初の2年間はどちらもやっていました。ただ大学後半では役者の方に専念しました。この大学の学科からはたくさんの俳優や芸能人が出たので私も女優を目指して先生たちからの厳しい指導に耐えて勉強しました。

DA
演劇の勉強は現在の活動にどんな影響を与えていますか?

ベティー・アップル
演劇を通して変わった音楽や電子音楽を知ることができました。作品の音楽を選ぶときにはメロディーや歌詞があるものではなく、もっと抽象的で雰囲気のあるものを見つけなければならない。先生たちのプロジェクトを手伝う中で色々な音楽に触れ、また大学最後の年に即興を教えてくれる先生に出会いました。登場人物の内なる欲望を楽器や即興演奏を通して表現する作品などに触れ、とても感銘を受けました。でも23歳の時に女優になることを諦めました。

リスクを伴いながらも自由を獲得するための手段としての即興も、きっちりと決め事のある演劇からきている私にとってはリスキーだけれども、まるで水のように流動的でとても美しいものに思えました。

DA
なぜ諦めたのですか?

ベティー・アップル
台湾では20代前半に売れないと女優としてはやっていけないんです。それに段々といろんなパフォーマンスに興味を持ち始めていました。当時のパートナーに「音楽をやってみたら」と言われて一緒にバンドを組んで活動を始め、25歳の時に本格的に音楽の作り方を勉強したくて同じ大学のメディアアートの大学院に入学しました。ところが音楽の授業は全くなかった!そこでは皆、ステージに上がってもラップトップの後ろに座って全く動かずに演奏をしていて、私はとても困惑しました 。(笑)

「私たちの歴史と呼べるような期間はとても短い」

DA
ベティーさんはバイブレーターを使ったサウンドパフォーマンスをするなど、テクノロジーに対しても独特なアプローチをしていますよね。自らをどんなアーティストだと定義していますか?

ベティー・アップル
バイブレーターを使い始めたのは「音とは?」ということを調べている時に「空気の振動(バイブレーション)」という答えとともに、セックストイのポップアップ広告が出てきたからです。私は音のパフォーマンスを通してクィア(性的マイノリティーの総称またはジェンダーや性的指向の定まらないことを表すことば)をテーマに作品を発表しているけど、そこで扱っているのは結局「自由」ということだと思います。

台湾にとってアイデンティティーや自由はとても重要な問題で、その理由の一つは日本統治時代や白色テロ時代2)などを経て、私たちの歴史と呼べるような期間はとても短い。だからアイデンティティーを見つけること、そしてそれをアートを通して変化=トランスフォームさせることはとても重要なことだと感じています。

2)白色テロ時代:台湾は1945年に50年に及ぶ日本支配から解放されたのちの1947年から1987年まで白色テロ時代と呼ばれる国民党による戒厳令と厳しい政治弾圧の時代を経験する

【写真】スタジオの机の前で座ってインタビューに答えるベティー・アップル

台北市内で「Social Dis Dance」のメンバーとシェアするスタジオでインタビューに答えるベティー・アップル 

ベティー・アップル
テクノロジーに関しては、例えば台湾ではマイクというものが広場で群衆に語りかける権力者の象徴としてあったので、その関係性を変化させるためにパフォーマンスに取り入れていたけど、現在の権力者は広場ではなくネットから語りかけます。それに反応するように私も特殊なマイクを使ってASMR(YouTubeなどで人気の聴覚に心地良い反応を起こす音や動画)の作品を作りました。そしてここ数年はクラブやパーティーというものに興味があります。

パーティーにはステージと観客席という境界線やアーティストとそれを崇める観衆という関係性を変化させるような政治性を持っていると考えてます。「ArtKB48」(アイドルグループ「AKB48」をもじり、「アート・ケービー・48」と読む)という若い女性のアーティストたちとグループを作り、毎月パーティーを主催したり、ポルノサイトにアート作品の投稿などをしています。

未来に語りかけるパーティー

DA
なるほど、アーティストとしての定義からも「自由」であるために変化を続けているんですね。海外からは台湾はとても先進的で多様な価値観を受け入れているように見えます。ベティーさんから見てどうですか?

ベティー・アップル
私自身、いろんなシーンを行き来してきたから周りにはいろんな人たちがいるし、さまざまな分野のプロフェッショナルたちと積極的にコラボレーションを続けています。私がリーダーを務めるエレクトロニックミュージックのグループ「Social Dis Dance(ソーシャル・ディス・ダンス)」もその一例です。

ただ私の作品や活動は海外では普通に受け入れられるけど、台湾では説明書きがないとなかなか理解されない。そのために歴史的な文脈や人々の馴染みのあるものと関連づけて作品を作らなければいけないと感じます。

2018年にドラァグクィーンの作品を作りましたが、その時もポップなものとしては受け入れられたけれども、作品の根底にあるより深い意味、アイデンティティーの流動性や政治性はあまり伝わらなかった。でも今一緒に活動している学生たちはおしゃれという意味ではなく自然にクロスドレッサー(異性装者)だったり、ノンバイナリー(男性・女性という二項的な枠組みにあてはまらないセクシャリティー)だったりするので、少しづつ変わってきていると思います。

【写真】人魚の姿をしたベティー・アップルが舞台上でマイクを持って歌っている。その周りにはダンサーたちが浮き輪を持っている

メタバースからきた人魚が未来からのメッセージを伝えにくることをテーマにした作品『超時空人魚』(2022年)写真:張修齊

DA
最後の質問になりますが、ベティー・アップルさんのようにアイデンティティーや自由、そして変化や変身することをテーマにした作品は台湾社会に対してどんなことを訴えかけていると思いますか?

ベティー・アップル
私は時代を反映するさまざまなキャラクターを演じてこの時代に生きるものとしての真実を伝えたいと思っています。いつの時代でもアーティスト、例えば昔の詩人などはその時代の真実を伝えるものとして語り継がれます。それはアーティストがいつでも社会や政治に対して敏感に反応しながらリアルに生きているからだと思います。

だから私は未来に対して語りかけている感覚があります。また表現をまだしていない人たちに自ら表現することを恐れないこと、アートの分野の中でも悪趣味であったりエンターテイメントみたいなものであっても良いことを伝えたいと思っています。

(埋め込みコンテンツについて) ミュージックビデオ作品『超時空人魚 Beta IT-ME』(2022年)

(埋め込みコンテンツの説明) 【You Tube動画】


メインイメージ/プロフィール写真
何怡璉(写真:李昆晏、空表演實驗場提供)
ベティー・アップル(写真:安竹本)


関連人物

何怡璉(ホー・イーリェン)

(英語表記)I-Lien Ho

(何怡璉(ホー・イーリェン)さんのプロフィール)
欧米を中心とした前衛主義と東洋哲学における「空無」の概念を通して、身体動作を創造的なメディアとして使用するパフォーマンス・アーティスト。 ダンス、太極拳、瞑想、即興、日常のジェスチャー、遊びなどを通して意識の流れと経験の創造を探求している。 障害のあるパフォーマーたちと共同制作する「空表演實驗場」主宰、国立中山大學助教。現在は台湾・高雄(カオシュン)市在住。
(何怡璉(ホー・イーリェン)さんの関連サイト)

ベティー・アップル

(英語表記)Betty Apple

(ベティー・アップルさんのプロフィール)
ベティー・アップルは台湾のジェネレーション Y のアーティスト。国立台北芸術大学演劇学科とニュー メディア芸術学院を卒業。身体の政治性をテーマにエレクトロニック・ミュージック、サウンド・アート、ライブ・アート、DJ、レイヴ・パーティー・オーガナイザーなど活動は多岐にわたる。現在は台北在住。
(ベティー・アップルさんの関連サイト)