ストーリー
【イラスト】ステージ上でバンドと手話通訳者がパフォーマンスしているのを観客が見上げている。手話通訳者台の上に乗っている。

(カテゴリー)コラム

“誰もがアートを楽しめる”をつくる仕事って何?
その1:舞台手話通訳

クレジット

[イラスト]  naoya

[写真]  池田礼

[文]  石村研二

読了まで約35分

(更新日)2023年07月28日

(この記事について)

“誰もがアートを楽しめる”をつくる仕事とはどんなものかを考えるコラムシリーズ。第1回は、舞台演劇や音楽ライブを聞こえない人たちと一緒に楽しめるようにする「舞台手話通訳」についてです。

本文

登場人物

ダイバーさん(学ぶ人)

アートに興味があるが自分にはできると思っていない。福祉や手話にも興味がある。

シティさん(教える人)

ダイバーシティの実践のため福祉やアートの現場でいろいろなことをやっている。


舞台上のかっこいい手話通訳者のことを知りたい

ダイバーさん

この間、フェスで手話通訳がついたライブを見ました。すごくかっこよくて。思い出野郎Aチームというバンドなんですが、最近のライブには手話通訳を帯同させているらしいんです。

 

ライブって全身で音楽を感じますけど、視覚情報は演奏している様子だけじゃないですか。でも、手話通訳がいると音楽のイメージが急に広がる感じがしました。手話は分からなくても、動きの意味はなんとなく見て取れるし、表現が深くなったような気がして。ライブに手話通訳がいるというより、バンドメンバーの一人が手話で歌っているように感じました。同じ衣装で一体感もあったし。

 

観客の中にろう者がいたかはわかりませんが、子供も含めて手話を真似する人が結構な数いて、手話のパワーを感じました。これでろう者と聴者が一緒にライブを楽しめるならすごいなぁ、やってみたいなぁとも思いましたね。音楽ライブを色んな人と共有できたらいいなぁって。

シティさん

私は音楽ライブの手話通訳を生で見たことはないけど、海外ではエミネムやBTSなど色々なアーティストが取り入れていて話題にもなっていますよね。私は、手話通訳が入った演劇なら見たことはあります。演劇の手話通訳も演者の一人として一緒に舞台を作り上げているという感じがしました。

 

音楽ライブも演劇の舞台も手話通訳が入ることは、残念ながらまだ日本では少ないですが、共生社会を実現していく上では、芸術やエンターテインメントを誰もが様々なやり方で共有できるというのは重要なことですよね。

ダイバーさん

本当にそうだと思います。いまの日本の手話通訳の現状やこれからの可能性、どんな人が舞台手話通訳に向いているのかなど知りたいことがたくさんあります。

シティさん

現在、日本の舞台手話通訳の多くに関わっている、特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(以下、TA-net)理事長の廣川さんに話を聞いてみましょう。廣川さん自身がろう者で舞台手話通訳のコーディネートもしているので、色々なことが聞けると思いますよ。


舞台手話通訳とはどんな仕事ですか?

【イラスト】4人がテーブルを挟んで話しているイラスト。右側に廣川さん、左側に奥からシティさん、ダイバーさん、手話通訳がいる。廣川さんと手話通訳が手話で会話をしている。前面に色の粒がいくつも飛んでいる。
ダイバーさん

今日はよろしくおねがいします。手話通訳のお二人もよろしくおねがいします。早速ですが舞台手話通訳は、具体的にどんなことをする仕事ですか。

廣川さん

簡単に言いますと、演劇やミュージカルやライブの舞台で、音楽や効果音も含めた音情報を全部手話に変えて、ろうのお客様にお伝えするというのが仕事です。一般の手話通訳は、その場で情報を手話に変えてお伝えしますが、舞台の場合は、事前に台本をもらってセリフに合わせた表現を決めて、稽古にも参加してそれを表現します。なので、セリフの背景などをきちんと自分の中に入れて理解をした上で、前もって手話に翻訳する必要があります。

ダイバーさん

ニュースや会議の手話通訳とはまた別のスキル、能力が必要になってくるってことですね。

廣川さん

そうですね。例えば、今の会話で話している内容が手話に変えづらいなと通訳が思ったら、いったん止めて「今の意味は何ですか」と確認をします。逆に私も手話を見て「あれ、これわからないな」という時は、通訳を介して確認をします。ダイレクトに会話している場合はそうやって修正できます。舞台の場合はそれができないので、前もってしっかり準備をすることが必須で、演出家やろうの監修者とも相談して、より良い表現はなんなのかを追求していきます。準備段階で手話通訳と監修者と演出家でコミュニケーションを取って表現を固めていくことがすごく重要です。

いま日本で手話通訳がついている舞台公演はどのくらいですか?

廣川さん

まず、私の活動の原点はイギリスなので、イギリスの話をしますと、例えば『ライオンキング』のようなロングラン作品は、必ず定期的に手話通訳がつくステージがあります。日本の場合はそういうロングラン公演に手話通訳がつくことはまだありません。小劇場や公立の一部の劇場で、手話通訳をつけようという動きが徐々に広がってきている段階です。

ダイバーさん

舞台手話通訳ができる人が足りていないからですか?

廣川さん

手話通訳者の数はそれなりにいて、依頼の数が少ないという状況です。ただやはり技術があればいいというものではなくて、いろいろな経験を経て、表現力などのスキルが上がってくるものなので、活躍の場が増えることで通訳の能力も上がり、全体の質が上がってくると思います。

ダイバーさん

ろう者の方たちがもっと舞台を見たいというニーズがあれば、対応するところも増えるかもしれないというのもありますか?

廣川さん

そうですね。ただ、ろう者の要望が多いからつけるという考え方だけではありません。必要な人が1人でもいればサポートをつける、それが人権としての考え方です。だから、ろう者がたくさん来るからつける、来ないからつけないといったことではないかなと私は思っております。

 

そして、全体的にろう者が公演を見る経験が浅いゆえに、舞台鑑賞は自分とは関わりがないものと決めつけて、初めから行こうとも思わない方もいらっしゃいます。ですので、まずはとにかく見てもらうために手話通訳のついた公演を増やして、少しずつ浸透させているような状況です。時間はかかると思いますが、ろう者の観客も少しずつ増えてきてはいます。

 

さらにいうと、手話通訳付きの公演はろう者だけのためではなく、聞こえるお客さんが見ても演出として効果があって、「あ、こんなのもあるんだ」って興味を持ってもらえるものであるべきだと思います。そういう意味でも、通訳を含めた形での舞台の配置などを演出家に考えていただきたい。私も今までいろんな現場に行きましたが、多くの演出家が、「手話通訳をつけてみて、こんな演出効果があるんだと考える機会をもらえてよかった」と好意的に感想を言ってくださいます。

【写真】手話通訳がついた演劇の写真。左に手話通訳、右にテーブルを囲んで3人の人がいる。
「メゾン」2020年公演(写真提供:TA-net)
ダイバーさん

日本では、手話通訳よりも字幕のようなテクノロジーに流れがちかなと思うのですが、やはり字幕より手話のほうがろう者にとってはいいのでしょうか。

廣川さん

文字情報のみの字幕にはスピードやイントネーションなどの情報が含まれていないので、どんな感情が込められているのかわかりにくいんです。ろう者が舞台作品の意味合いや全体の雰囲気、役者の感情の起伏などを感じながら鑑賞するためには、舞台手話通訳の方が適していると思います。もちろん、難聴の方や補聴器をつけて音を少し捉えることができる人は、音の雰囲気を捉えつつ字幕を見る方がいいという方もいると思います。両方の選択肢があるのが理想ですね。

手話通訳つき舞台はみんなで作るもの

ダイバーさん

これから手話を勉強して、手話通訳者として舞台を作る一員になるためには、どういう訓練が必要でしょうか。

廣川さん

まず一般的な手話通訳ができる技術は不可欠です。舞台手話通訳者は、誰かが翻訳したものを覚えて本番でなぞるだけではなく、基本的に翻訳も自分でやります。なので、役者と同じようにきちんと台本を読み込んで何を言いたいのかを掴む能力が必要です。手話をきちんと自分の言語として体得していて、通訳技術を持った上で、作品を解釈して表現する役として舞台に上がる技術を身に着けていることが求められます。

ダイバーさん

舞台手話通訳って言葉をただ置き換えるだけではなくて、作品やその背景の文化も理解して自分のものにして伝えることが必要なんですね。

廣川さん

そうですね。言語に対するリスペクトがないと難しいですね。手話はろう者にとっての言語、とても大事な言語ですので、ろう者と一緒に作っていく姿勢が必要になってきます。舞台手話通訳という作業は、ぜひろう者と一緒に作っていってほしい、作っていかなきゃいけないと思っています。

ダイバーさん

本当にみんなで手話通訳者も参加する舞台を作り上げていけたらいいですね。廣川さんは具体的に今後のビジョンをどう描いていますか。

廣川さん

全国どこでも同じように手話通訳と字幕がついて、それを選んで観劇することができるようになってほしいです。たとえば商業演劇のような、大きな劇場で1ヶ月以上かかるような演目には必ず手話の日や字幕の日が1日か2日は入っている状況になって欲しいです。

 

2024年4月から障害者差別解消法の改正の施行によって、民間企業であっても合理的配慮の提供が義務になります。特に大きな劇場や人気のある公演は率先して手話通訳や字幕をつけていって、誰もがアクセスできる環境になってほしいなと願っています。


手話通訳士に会って
話を聞く

ダイバーさん

色々勉強になりました。いわゆる普通の手話通訳と舞台手話通訳はぜんぜん違うんですね。台本を「手話に翻訳する」と言っていたのが印象的でした。ただ言葉を置き換えるのではなくて、舞台作品全体を違う言語で表現できなければいけないんですね。

シティさん

舞台手話通訳の前提として手話通訳の基本的な技術がなければならないというのは非常に重要な指摘です。手話通訳士という資格があって、その資格を取るには、単にコミュニケーションツールとしての手話ができるだけではなく、ろう文化を理解してなければいけません。舞台手話通訳においても、異なる文化を横断して理解と表現することが大事になるということがわかりましたね。

ダイバーさん

先日、私がフェスで見た「思い出野郎Aチーム」というバンドのライブに出ていたペン子さんという方は、手話通訳士として活動しながらライブ手話通訳もやっているそうです。耳が聞こえるペン子さんがなぜ手話に興味を持ち、手話通訳士になったのか、どうして音楽ライブの手話通訳を行うのかなど聞きたいことが山ほど出てきてしまったので、話を聞いてきます!

音楽の世界から手話通訳の世界へ

【写真】手話通訳士のペン子さんのプロフィール写真。ショートカットで青いワンピース。植物のツタと白い壁の前に立っている。
ペン子さん
ダイバーさん

ライブを見てすごくかっこよかったです!TA-netの廣川さんにも話を聞いてかっこいいだけじゃすまない大変な仕事だということはわかったのですが、実際の手話通訳士ってどんな仕事なのかぜひ聞きたいとも思いました。そもそもペン子さんはどうして手話通訳士になろうと思ったんですか。

ペン子さん

大学をでて就職したのはライブハウスだったんですが、その矢先に東日本大震災が起きて、ライブができなくなって家で待機する状況になりました。親交のあるバンドマンたちが震災直後から被災地に行って支援しているのをみて、自分は何もできないのがすごく悔しくて、自分にもなにか起きたときに「これなら任せて」と言えるような専門分野がないとダメだと思うようになりました。そんな時、政府の会見に手話通訳がついているのを見ました。それまで聞こえない人の知り合いは自分にはいなかったし、手話を習った経験もなかったのに何故か「これだ!」ってピンと来たんです。

 

すぐに調べて、学校に行って資格を取るのがいいという結論に至り、「専門学校に行き直すので仕事辞めます」って国立リハビリテーションセンター学院に入学しました。

 

音楽の世界から音がまったくない世界へ、いま考えるとかなり矛盾を孕んでいましたね。自分でもあの時の行動力はどうかしていたなとは思うんですけど、結果的に行動を起こしてよかったと思います。

ダイバーさん

学校はどうでしたか?

ペン子さん

ものすごく厳しいんですよ。2年で新しい言語を覚えて、なおかつ通訳をできるようにしなければいけないので当たり前なんですけど。学校に行ったら、日本語は喋ってはいけないルールがあって。建物の5階にあるんですが、5階のフロアに朝登校してエレベーターの扉が開いて1歩出たら、もうそこからはろう文化の世界なんです。職員室のドアは基本的に開けっぱなし、授業中も特別な理由がなければドアは開けておきます。何かを知らせる時は照明の明滅だったり。話かける時は肩を叩いたり、その人の視界に入るように手を振って知らせるというような環境でした。手話の授業ではろうの先生を囲んで、お互いが見えるように学生は半円形になって座ります。

ダイバーさん

最初手話をみっちり学んで、そこから通訳者になるための勉強をするんですか?その時は、音声日本語も必要になりますよね。

ペン子さん

そうですね。常勤の聞こえる先生もいらっしゃいますし、その他にも言語学や音声学など手話通訳士試験に必要な授業は、ご専門の聞こえる先生方から学びました。手話は、ろう者の先生に習います。手話が身についてきたら、今度は手話を見て、内容を音声日本語にする読み取り通訳の訓練が始まります。この授業では聞こえる先生に日本語を添削をしてもらいます。

ダイバーさん

手話や言語学、音声学を学ぶほかに、ろう文化を学ぶ授業もあったりするんですか?

ペン子さん

そうですね。手話を教えてくれる学内のろう者の先生だけではなく、ろうあ連盟(編集部注:一般財団法人全日本ろうあ連盟)などの関係団体の方、いろんな仕事をしてるろう者をお招きして、お話していただく授業もあります。ろう学校に見学に行ったりもするので、幅広くろう者の文化や社会について2年かけて学んでいくことができました。

【写真】笑顔で話しているペン子さん。
ダイバーさん

ペン子さんのように、周りに聞こえない人がいなかった場合でも慣れるものですか。

ペン子さん

慣れましたね。1日の大半を音がないことが当たり前、という手話だけの世界で2年間過ごしたので。ろう者の世界では聞こえる人を「聴者」と言いますが、手話を勉強した人の中では、聞こえない人と出会って初めて「聴者になる」という言い方をしたりします。その時になって初めて「自分って、耳が聞こえるんだ」って実感するんですよね。

私の場合は、学校に行き始めて、改めてライブに行った時に「音、あ、私今音楽を聞いてる。音が聞こえる。周りの人の歓声が聞こえる、あ、これって聞こえてるってことなんだ、私聞こえる人なんだ」と強く自覚した瞬間がありました。でも、そこで自覚したってことは、今まで自覚しないで生きてこられた、聞こえない人たちや手話のことを知らないで過ごしてきたんだって感じて、同じ社会の中にいたはずなのに、いないことにしてたんだ、知らなかったんだっていう衝撃を受けました。

ダイバーさん

すごく身につまされるというか、そういう実感が持てると世界の見え方も変わってくるだろうなと思います。そういう経験を経て手話通訳士になったわけですが、資格はどういったもので、2年間勉強したらだいたい取れるものなんでしょうか?

ペン子さん

手話通訳士は、厚生労働省の認定する試験に合格すると得られる公的資格で、毎年1回、実技試験と筆記試験があります(編集部注:社会福祉法人聴力障害者情報文化センターが実施する「手話通訳技能認定試験(手話通訳士試験)」)。卒業時に受かる人は半分くらいでしょうか。卒業後も働きながら受験を続ける人も少なくないです。私はおかげさまで卒業するときに資格がとれましたが、学生生活は「もうやりたくない!」と思うほど辛かったです。

 

そのときに1つエピソードがあって。私は以前からELLEGARDEN、the HITATUS、MONOEYESといったバンドで活動している細美武士(ほそみたけし)さんというミュージシャンが大好きで、細美さんのラジオでハガキ職人みたいなことをやってました。ペン子もその時のラジオネームなんです。手話通訳士試験を受けるころ、あまりに学校が辛すぎて、一大決心をしないと試験に向きあえないと思って、「通訳士になったら帰ってくるから、それまでメール送らないで頑張ります」ってメールをラジオに送ったんです。そうしたら、盛大に送り出してくれて。これはもうやるしかないって決意が固まりました。

 

それで、追い込んで追い込みまくって、なんとか2年で手話通訳士になって、試験受かったよって報告のメールを送ったんです。そうしたら細美さんが「じゃあ、次の目標があった方が頑張れるでしょ。うちのバンドのライブで手話通訳をやってよ」って言ってくれたんです。ライブの予定がすぐにあったわけではないんですが、その後に決まった日本武道館のライブに向けて一緒にやろうと。そこで音楽の世界と手話の世界が私の中で再び交わることになりました。

音楽ライブで手話通訳をやるということ

ダイバーさん

細美さんはどうしてライブに手話通訳をつけるなんて発想になったんでしょうか。

ペン子さん

発端はニューヨーク在住ミュージシャンの矢野顕子さんです。矢野顕子さんは以前から海外のフェスに手話通訳がついていることをご存知で、ご自身のSNSでも映像をシェアされたりしていました。細美さんは矢野さんと親交があるので「あなた、これ素敵よ。見てごらんなさい。」と手話通訳がついた海外のフェスの映像を教えてもらったそうです。細美さんは、聴覚に障害のある人もフェスに参加して楽しんでいる様子を見て、日本でもこういう試みが始まるといいなあとずっと考えていたそうです。そんな中で私がたまたま手話通訳士になったので、やってみるかと思ってくれたみたいです。

ダイバーさん

それまで日本には音楽ライブに手話通訳がつくことなんてあまりなかったんですよね。思いがけず道を切り開いてしまったという感じでしょうか。

ペン子さん

そうですね、思いがけず。前例もないし。細美さんからいただいたお話は、私一人では太刀打ちできそうにないと思ったので、学院の先生にも協力してもらいました。膨大な曲数の翻訳の下準備、通訳技術を磨くなどして約1年をかけて準備しました。ただ、本当にありがたかったのは、お話をくださった細美武士さんがすごく理解のある人だったということです。異文化に対しての理解やリスペクトもちゃんと持って、一緒にお仕事をしてくださいました。舞台に通訳がいるってことは、スクリーンに映像を出さなきゃいけないよねとか、メンバーと並びになると埋もれちゃうから客席に近いところに立つ方がいいよねとか。そういうことを考えて、スタッフの方々に話を通して、環境を整えてくれました。私は行って通訳をするだけでいいっていう状態にしてくださっていたんです。

ダイバーさん

それでいきなり武道館ライブデビューが実現して、あとは順風満帆ですか?

ペン子さん

まったくそんなことはなく、細美さんも「こういうライブの楽しみ方もある」と一つの選択肢を提案して一旦終わりというスタンスでした。ライブをどんな空間にしていきたいか。それは観客のみんなが考えて、選んでいって欲しい、と言っていました。
もちろん私もそれはわかっていたので、いただいたチャンスを活かして、自分で次の機会を模索しました。でもぜんぜん機会はありませんでしたね。大きなフェスの主催者に働きかけたりしたんですが、何も進まないまま何年も経ちました。その間に、舞台経験があったほうがいいだろうと思ってデフ・パペットシアター・ひとみで役者として活動してみたりもしましたが、やっぱり音楽の手話通訳がやりたいという思いを持ち続けていました。

ダイバーさん

ペン子さんのYouTubeも見ましたが、始めたのはその頃ですか

ペン子さんがYouTubeで公開した動画。(4分12秒)
ペン子さん

そうですね。待っていても機会が来なかったので、それなら自分でやってみようと思ったことがきっかけです。劇団員を経験したおかげで、自分で作っちゃえばいいのかと思えたことも大きかったです。映像はカッコよく、それでいて手話をちゃんと言語として扱った作品を作ることを目標にしました。結果的に沢山の人に見てもらって、のちに思い出野郎Aチームとの活動にも繋がっていったので、一つの転機だったように思います。

ダイバーさん

ようやく思い出野郎Aチームにたどり着くんですね。なんで思い出野郎Aチームは手話通訳をつけようと思ったのですかね。

ペン子さん

思い出野郎Aチームのマネージャーが、ライブハウス時代の知り合いで、YouTubeを見てくれていて、コロナ禍が落ち着いてバンドがライブをまた始めるとなった時に、バンドメンバーに手話通訳をつけるってどうかなと話をしたらしいんです。

 

思い出野郎Aチームのメンバーは、弱い立場の人たちも誰も置いてかないという考えを持った人たちだと私は思っているんですけど、そういう人たちなので手話通訳の導入もやってみようってなったみたいです。ただ、マネージャーは手話通訳のことを何も知らない状態だったので準備段階で行き詰まってしまったようでした。ライブの1ヶ月半くらい前にtwitterで突然「手話通訳について情報を広く募集します」ってつぶやいたんですよ。それを見た友達から「思い出野郎、手話通訳探してるらしいよ」と私に連絡がありました。迷いました。「今からだなんて絶対に大変だ。巻き込まれたくない。でもせっかくのチャンスなのに、ライブ手話通訳の道がここで途絶えるのも嫌だ」と思って、マネージャーに連絡をしたら見事に捕まり(笑)、やることになりました。そこから1ヶ月で約20曲を翻訳しなくちゃいけない状況になりました。ボーカルの高橋 一(まこと)さんも、事前に翻訳をする必要があるとは知らず、当時は音楽を聞けば同時に通訳できるんだろうくらいに思っていたみたいです。

 

それで「私1人でこの曲数の翻訳は無理」となって、TA-netの廣川さんにすぐ相談して、通訳者を4、5人紹介してもらい、みんなで手分けをしてなんとか20曲を本番に間に合わせたって感じですね。

楽曲と歌詞を分解して理解して手話で表現する作業

ダイバーさん

歌詞を手話にするってどうやるんですか?

ペン子さん

まず十分に曲を聞く時間を取ります。その後、歌詞を紙に書いて高橋さんからの補足や自分の解釈を書き加えながら、パズルのピースのように曲を分解していきます。あ、こういう色なんだ、形なんだみたいなのを味わってから、手話だったらこれをどうやって伝えるかなって考えていきます。曲と歌詞を理解したうえで、手話版の歌詞を改めて書くみたいな感じです。ダブルミーニングの歌詞とかもあって翻訳はすごく難しいんです。

ペン子さん

でもライブの手話通訳をやってると、音楽の世界にドボンって浸かったような感覚になって、自分が音楽の一部になってる感じがするんです。歌とは別のチャンネルで曲を伝えている感覚があって、音楽を普通に聴くのとはまた違う楽しみ方ができています。

ダイバーさん

ライブはいわゆる日本手話で基本やられていますが、そこにこだわりはあるんですか?

ペン子さん

ありますね。歌を手話で表現する場合、曲に合わせて歌詞の日本語通りの順番で手話単語を表現するものをよく見かけます。それはそれで需要があるんだと思うんですが。でも、私が好きになった手話という言語は、日本語とは別の、洗練された、視覚的に面白い表現がたくさんある言語なんです。だから、歌詞の翻訳も日本語にこだわらずに、手話で作り変えてしまった方が面白いって思ったんです。

ダイバーさん

ペン子さんのライブ手話通訳は、曲によって難しい表情をしていたり、楽しい表情をしていたり、観客に向かってポーズを取ったり、意味が分からなくても何か伝わってくる気がします。

ペン子さん

視覚言語って直感的な面もあるので、手話がわからない人が見ても、なんとなくわかってもらえるのではと思います。日本手話では視線も大事なんです。例えば「空」というときに実際に通訳者が上を見たら、「あ、なんか上見てる」と伝わりますよね。そういう、目で見て面白い音楽を作りたいなとも思っています。

 

さらに通訳者が増えれば、それだけ解釈や表現も増えることになるので、より質の高い翻訳やパフォーマンスが作れると思います。やっぱり仲間は増えてほしいですね。

ダイバーさん

音楽ライブから離れて、手話通訳士の仕事のやりがいにはどんなものがありますか。

ペン子さん

楽しいんですよね、手話通訳。人と人を繋ぐ仕事で、その人が発した言葉だけでなく、その奥にある意図まで理解して相手に伝えます。例えば、この人はにこやかに話を続けているけど、返事が適当になってきたし、話し方もさっきより急いでる感じがする。そういう言外の情報もキャッチして「そろそろ終わりたいのかも」って聞こえない人に伝えたりもするんです。手話通訳の仕事ってただ音声日本語を手話に変換するだけじゃなくて、五感を使ってやる仕事なので、やりがいはめちゃくちゃあります。

ダイバーさん

なってよかったですか。

ペン子さん

今はよかったと思いますね。学校で手話とろう者、ろう文化のことを教えてもらって、ろうの先生たちに文化と言語を授けてもらったので。今後も絶対無下にしないし、先生たちやろうコミュニティに還元するためにやっているんだという意識は常にあります。

【写真】真剣な顔で話すペン子さん。横からのバストアップ写真。

誰のために手話通訳をやるのだろうか

ダイバーさん

私はペン子さんの手話通訳を見て、演奏とは異なるやり方で曲を解釈して表現している人がいるってライブとしてすごく面白いし、グレードアップした感じがしました。でもそれは「聴者」の感想に過ぎないとも思ってしまいました。聴者としての私は「もっとあったらいいな」と思うけれど、それって意味あるのかなとも思ったんです。悪い言い方をすると文化の盗用みたいな、聴者が手話の文化を享受して、でも別にそれはろう者のためにはなってないのではと。ろう文化や手話について知っていく中でそういう事を考えてしまいました。

ペン子さん

日々やりながら、これって誰のためなんだろうとは考えます。聞こえる人が手話をやって、文化と言語を搾取してしまっているんじゃないか、一部の人だけで手話をやって楽しんで、果たしてこれでいいのかって思わないわけではないです。短期的に見ると、それこそ文化の盗用とか、あいつ聞こえるのに手話やってライブで楽しそうにしてって言われる。それはそうだと思います。手話は聞こえない人たちの言語だし、聞こえない人たちの文化、大事な文化なので。

 

でも、ろう者と聴者の間にいる手話通訳の世界に身をおいていて、もったいないなともどかしくなることも正直あります。ろう者のこと、手話通訳のこと。聞こえる人にもっと知ってもらえたらいいのにって。だから私は手話を知らない人とか、手話やろう者からすごく遠いところにいる人たち、特に音楽業界の人たちに、こういうアプローチの仕方があります、こういう音楽の楽しみ方もありますっていうのを伝えていく、見てもらう、知ってもらう機会を作っていく。それが自分の役目なのかなと最近思うようになりました。

 

それで例えば手話通訳者の数や手話通訳つきのライブ公演が増えて、結果として聞こえにくい人たちやろう者の豊かな生活に繋がっていくなら、私はやったほうがいいととらえています。ただ、悩みは尽きないし消えません。聞こえる人間が手話を使って活動している以上、そこの後ろめたさみたいなものは私はずっと持っていなければいけないとも思っています。それを持ちつつ、でもやめないってことなんだろうなとも考えていて、とにかく続けていくことを今は考えています。

ダイバーさん

なんかもやもやしていたのが少しすっきりした気がします。今日はありがとうございました。


シティさん

お二人と話をしてみてどうでしたか?

ダイバーさん

僕は「ライブ手話通訳かっこいい」と単純に思って飛びついてしまいましたが、その表現が生まれるには大変な鍛錬や試行錯誤があることがわかりました。でも、ろう者の文化を理解していわば2つの文化の架け橋になる手話通訳士って本当に素晴らしい仕事だとも思います。今回お二人の話を聞いたり、自分で色々調べて、いかに今まで自分がろう者の世界の事を知らなかったか、無視していたのか身につまされました。その中で「聴者」としての自分がどう振る舞っていいのか悩みもありますが、その悩みは持ち続けながら「手話かっこいい!」って素直に楽しみながら、ろうの人たちのことや文化を知ろうとすることが大事なんだと思えました。

 

ろう文化を理解しようと努める聴者の一人として「手話通訳ってかっこいいんだよ」ということを広めたいし、ろう者の友達も含めて色んな人とライブを見に行きたいですね。そのためにも音楽ライブや舞台公演に手話通訳がつくのが当たり前になって欲しいので、自分に何ができるのかも考え続けたいと思います。

【イラスト】 前面に大きく手話をするペン子さん。下から観客たちが見上げる。中にヘッドホンをした子供。