ストーリー
【イラスト】夜と昼の風景が画面の上下半々で対になっている。下部には家が逆さに描かれ、窓のなかに人が会話する様子が見える。加えて、周辺の草むらから鈴虫の声が漏れる様子が、ジグサグの線や音符で描写されている。一方、上部には、空に三日月が浮かぶ静かな夜が描かれる。中心に男性が立ち、下部に描かれた家を覗き込むように下を向いている。

(カテゴリー)コラム

フィンランドに鈴虫の鳴き声を届けるみたいに——
森一貴

ゲーム? わたしたちは隣にいる人とどうしたら一緒に遊べるだろう

クレジット

読了まで約4分

(更新日)2024年01月25日

(この記事について)

「読むこと」は、創造的な行為。一人ひとりにさまざまな読み方、楽しみ方があるはずです。2024年1月発行の『DIVERSITY IN THE ARTS PAPER vol.14』読者代表として、「わからなさのなかでともにデザインすること」に取り組む気鋭の若手研究者であり、家主の森一貴さんが寄せてくださった感想レビューをお届けします。

本文

「そこにあるけれど気づきづらい」
を浮かび上がらせる

雑誌という紙媒体で音を扱うって、不思議だ。それが『DIVERSITY IN THE ARTS PAPER vol.14』(以下、『DA14』)を読んだ僕の第一印象だった。文章を読んでいるうちに、だんだん音が鳴っているように感じられてくる。NAOYAさんやなむさんが聞いている音と、自分自身の奥底にある音楽とが共鳴しあって、頭のなかに響いているような気がする。そして音に目を(耳を?)向けてみるとき、僕の暮らしのなかにある音というものもまた、浮かび上がってくる。

そんなことを考えるとき僕は、僕が住むシェアハウスの同居人たちがやっている「ふぉんふぉんラジオ」というポッドキャストのことを思い出す。シェアハウスには、まともなプライベートもなければ、まして断音室なんてない。彼らのラジオにはそれゆえ、いろんな音が飛び込んでいる。彼らが気づいてさえいない音さえも。ラジオは僕たちにとって、彼らのたわいない話のアーカイブであるのと同時に、暮らしの音風景のアーカイブでもあるのだった。そのなかでもひとつ、僕にとって忘れられないことがある。

僕は2021年から2023年にかけてデザインを学ぶためフィンランドに留学していて、当初はたぶんそれなりに孤独や寂しさを感じてもいた。そんな留学がはじまったばかりの10月、なんの気なしに聞いていた「ふぉんふぉんラジオ」の会話の向こうから、鈴虫の声が聞こえてきたのだった。みんなの会話の奥で通奏低音のように、ラジオの1エピソード分ずっと、りんりんりんりんりんりん。会話している彼らは、そこで鈴虫が鳴いていることさえ気づいていないみたいだった。

【イラスト】メインビジュアルと同じイラスト。「フィンランド留学中にラジオの向こうで聞こえる鈴虫の鳴き声から一人でいることを痛烈に自覚した」という本文内容をイメージして描かれた。

その鳴き声を聞いたとき、僕は突然、自分がフィンランドにひとりでいることを痛烈に自覚した。フィンランドでは、虫は鳴かない。ひとりの部屋に響く鈴虫の声は、おうちのお布団や、みんなで囲んだ鍋の風景や、あの人の顔を連れてきた。

アメリカの技術哲学者ドン・アイディは、私たちと世界における“エアコン”のようなありかたを「背景関係」と呼んだ。エアコンは、確かに世界を解釈し状況に作用して、私たちに大きな影響を与えている。けれども、私たちが世界と関係しあうとき、エアコンは普段は意識されないし、気づかれもしない。でも、たとえば夏に壊れてしまったときに、電車の空調が効きすぎて寒いくらいのときに、エアコンは確かにそれ自身の存在を明確に主張する。

こうしてみると『DA14』の特集は、もしかすると、そんなふうに「エアコンを故障させる」ような実践なのかもしれない。『DA14』はそこにあるけれど気づきづらい、見えづらい、しかし確かにいきいきと脈動しているもの——たとえば「音」という存在を前景化させる。それはまた音のみならず、それをとりまく「目が見えない」ということや、私や、ゲームや、そうしたものたちを浮かび上がらせるのだ。

いまを揺さぶる実験

『DA14』はまた、私たちが無意識に信じているものに——たとえば「ゲーム」には「画面」が必要だ、という信念に——小さな亀裂を入れ、それを不安定化させる役割を果たしてもいる。どういうことだろうか?

科学技術社会論の研究者であるトレヴァー・ピンチとヴィーべ・バイカーは、英国において、自転車の形状がどのように変化してきたのかを探索した。その過程で明らかになったのは、自転車のいまの形状は、天才技術者がひとりで生み出したものでもないし、人間の体の動きから必然的に導き出されるものでもないということだった。むしろ自転車は、その発展の過程で多様な集団が関わりあいながら、偶然いまの形状におさまっただけなのである。なのに自転車はいまやそのかたちでしかないし、それ以外を想像することさえ難しい。

技術哲学者・村田純一は、こうしてモノのかたちが安定化すると、発展の道中に転がっていたはずのたくさんの可能性、こんなかたちもありえるんじゃないかという別の解釈の可能性が蓋され、ブラックボックス化してしまうと指摘した。本来そこには、それ以外の可能性がいつだって転がっているはずなのに。ソーシャルデザイン研究者であるトーマス・マルクッセンは、こうして安定性に“亀裂”を入れる営みを「デザインアクティビズム」と呼んだ。それは、亀裂のなかから別のつながりが生まれうる、静かな、しかし苛烈な反抗だ。『DA14』で紹介されている「音で遊ぶゲーム」は、まさにそうして生まれた、新たなつなぎ方の可能性のひとつだといえる。

それは、予測不可能な未来に波紋を投げ入れるようなものだ。ラジオの向こうの鈴虫みたいに、媒介されて運ばれたものたちは、それが元々どんな意図を持っていたのかとはまったく関係なしに、思わずどこかに飛び出して、思いもよらないなにかを動作させてしまう、つなげてしまう。すっかり安定しようとしていたふたつを切り離すことは、新たなつなぎ方の可能性をひらく。

【イラスト】「つながれていたと思っていたものへ疑問を向け、不安定化させることで新たなつなぎかたの可能性を探る」といった本文の内容を表現している。湾曲したり、屈折したりした形状をした積み木のようなパーツが画面を横断して連なり、中央で途切れている。その途切れたパーツの左手には座った猫、右手には立っている人が向かい合う。人の頭上には「?」の絵が浮かぶ。また、画面中央下と左上からは、途切れた部分にそれぞれ異なる新たなパーツをあてがおうとする大きな手がのびる。

でもそれは同時に私たちのあり方を、懸念や関心が混ざりあう、翻訳や解釈、媒介、ねじれやひずみ、そうした有象無象の政治のなかへと投げ込むようなことでもあるのだ——科学社会学者であるブルーノ・ラトゥールが言うように。しかし、その危うい境界の上にこそ、思いもよらない、わくわくするような未来がある。いろいろなモノたちが姿を現し、言葉を投げかける隙間がある。そしてその一つひとつが、私たちのいまを揺さぶる重要な実験となるのだ。


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関連人物

森 一貴

(英語表記)MORI Kazuki

(森 一貴さんのプロフィール)
シェアハウスの家主。フィンランド・アールト大学デザイン修士。福井県鯖江市を拠点に、越前鯖江の産業観光イベント「RENEW」や「ゆるい移住全国版」など、持続可能な地域を目指すプロジェクトの企画・実施に携わる。また、福井県や鯖江市とのサービスデザインプロジェクトや、フィンランドにおける政策デザインに係るリサーチを実施。関心領域は多様な人々が出会い、関わりあい、思いもよらない変化が生まれる参加型デザインで、特に「わからなさのなかでともにデザインすること」に取り組む。受賞歴に令和2年度国土交通省「地域づくり表彰」最高賞・国土交通大臣賞(地域づくり部門)など。共訳書に『ここちよい近さがまちを変える』。
(森 一貴さんの関連サイト)