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(カテゴリー)レポート

サンフランシスコ・ベイエリアのアートセンター訪問記[前編]

クレジット

[構成・文]  石田エリ

[写真]  Pai

読了まで約8分

(更新日)2017年10月10日

(この記事について)

 

アメリカ、サンフランシスコ・ベイエリア。1974年にある夫婦が自宅のガレージを解放することから始めた障害のある人たちのためのアート活動の場は、やがてこのエリアで3つのアートセンターを創設し、近年では世界的なアーティストを輩出するまでに成長してきた。市民の誰もが自由に声を発し、その力で街を変えてきた歴史を持つサンフランシスコ・ベイエリアにおいて、これまでの43年という道のりはどんなものだったのだろう。その軌跡が知りたくて“はじまりの場所”、〈クリエイティブ・グロース・アートセンター〉を訪ねた。

本文

サンフランシスコのギャラリー〈836M〉で作品が展示されていたダン・ミラー。今年のヴェネチア・ビエンナーレの招聘アーティストでもある。

ヴェネチア・ビエンナーレに招聘された2人のアーティスト

サンフランシスコ・ベイエリアの地域性を語るのに、「リベラル」(=偏見がない、自由な、開放的、進歩的)という言葉は外せないキーワードだ。私たちが取材で訪れたのは、ちょうどトランプ政権がスタートしたばかりのとき。今回のカメラマンとコーディネイターは、このエリアに暮らす小さな子どもを持つお母さんだったこともあり、ちょっとした移動時間にも「これからこの国はどうなるのか」という話で持ちきりだった。自分たちが暮らす社会をよりよくしていくことを、他人任せにはしない。そんな心意気の生活者たちが多く暮らすこの街は、溌剌としていて気持ちがいい。

サンフランシスコのギャラリー〈836M〉にて開催されていた、クリエイティブ・グロース・アートセンターのアーティスト、ジュディス・スコット(写真)と、ダン・ミラーの展覧会。

〈クリエイティブ・グロース・アートセンター〉(以下、クリエイティブ・グロース)のディレクター、トム・ディ・マリアに取材依頼をすると、はじめに案内されたのはオークランドにあるスタジオではなく、サンフランシスコのダウンタウンにある〈836M〉というギャラリーだった。アンティークショップやデザイン事務所などが集まるジャクソン・スクエアというエリアの一角。通りに面したガラス張りのギャラリーに展示された何と言えないカラフルな“物体たち”は、通りゆく人たちをたびたび振り向かせ、目を奪っていた。

この展覧会の主役は、クリエイティブ・グロースのアーティスト、ジュディス・スコット(2005年に他界)とダン・ミラー。スコットの作品に近づいてみると、さまざまな色の繊維がぐるぐると繭のように、物体(拾った廃棄物だという)に巻きついている。繭の奥に潜んでいるものは何か、その秘密めいたところも彼女の作品の魅力かもしれない。そしてその特徴はミラーの作品にも少し通じているような気がした。ミラーは、ウッド・ボードに模様、文字をペイントし、何度も上書きするように描いていくというが、読み取れないくらいに重なり、言葉の意味を超えた別の形が生みだされている。

ギャラリー〈836M〉より。クリエイティブ・グロースのアーティスト、ダン・ミラーの作品。

この日はちょうどオープニングレセプションで、日が暮れると着飾った人たちでギャラリーはあっという間にいっぱいになった。〈836M〉は、アウトサイダー・アート専門のギャラリーではない。そしてスコットとミラーの2人は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とスミソニアン美術館の常設コレクションに収蔵されている作家であり、今年の国際的美術展「第57回ヴェネチア・ビエンナーレ」に招聘されることが決まっている(現在開催中)。ここに集まった人々は、その注目のアーティストの展示を観にきたということなのだろうか。客層も含め、“障害者のアート”という匂いがしないこの展覧会の空気感も理想的だと主宰者の一人、アグネス・フォーレに感想を言うと、彼女はこう答えた。

「クリエイティブ・グロースは、特にヨーロッパとニューヨークのアートシーンで評価が高く、認知度はかなりのものです。なのに、スタジオの場所も少し離れているせいか、意外とサンフランシスコの人たちにあまり知られていない。私たちも『ニューヨーク・タイムス』の記事で存在を知って『こんなに素晴らしい場所が近くにあったなんて!』と驚いたくらい。この展示を観にくる人たちもそんな風に思った人が多いんじゃないかしら。昨年からここで4回に分けて彼らのアートを展示してきましたが、クリエイティブ・グロースはより多くの新たなファンを得たと実感しています」

スタジオの階段に飾られていた、クリエイティブ・グロースを代表するアーティスト、ジュディス・スコットの写真。ジュディスは、2005年に他界している。


人権運動が盛んだった70年代に、ガレージで始まった障害者のアート活動

翌日、サンフランシスコからベイブリッジを渡り、クリエイティブ・グロースのある街、オークランドへと向かった。オークランドの隣町・バークレーは、1960年代末、カリフォルニア大学バークレー校に端を発した学生運動やフリースピーチ・ムーブメントの中心地。同校では同じころ、12人の重度身体障害者の学生による自立生活運動も起こっていたという。そして、これらの“ムーブメント”は、サンフランシスコ・ベイエリアを“アメリカで最もリベラルな街”にしたきっかけにもなった。こうした時代背景の中で、クリエイティブ・グロースを含む3つのアートセンターの創設者であるカッツ夫妻は、1974年、バークレーにある自宅のガレージを障害者のアート活動のために開放し始めた。そしてその数年後、活動拠点を隣町のオークランドへと移し、発達障害、精神障害、身体障害のある人々のアートセンターとして、古い自動車整備工場跡地にクリエイティブ・グロースを構えることになる。

オークランドにある、クリエイティブ・グロース・アートセンターの外観。

ギャラリーは予約なしでも入場できる。写真右側の壁の向こうがスタジオになっている。

高い天井の広々したスタジオ。


ここで働くスタッフは、アーティストでなければならない

クリエイティブ・グロースに到着すると、大きな煉瓦造りの建物の縦長のガラス窓の合間から、作業台に向かうアーティストたちの姿が見えた。併設されたギャラリーの入り口から中に入ると、2階からトム・ディ・マリアが出迎えてくれた。外から見るよりも天井が一層高く感じられる。スタジオとは中で繋がっていて、ギャラリーからも制作風景を見ることができた。大きなワンフロアに、ドローイング、テキスタイル、セラミック(中に電気釜もある)、木工、ざっくりとコーナー分けがされているが、すべてが見渡せるオープンなつくりになっているからか、アーティスト同士の間に漂う熱気が循環し、こちらにも伝わってくる。

2000年より、クリエイティブ・グロース・アートセンターのディレクターを務めている、トム・ディ・マリア。

スタジオに巨大なライトが立っていたので、何かと聞くと「『TARGET』で流す映像を撮影しているんだ」とディ・マリア。「TARGET」と言えば、アメリカでは誰もが知る大型チェーンの量販店。ここで大々的にキャンペーンを行うナチュラルな洗剤メーカーのパッケージを、ここのアーティストが手がけることになったのだという。クリエイティブ・グロースはこれまでにも、ファッションブランド「マーク・ジェイコブス」とのコラボレーションが話題になったこともあった。けれど、「TARGET」となると、さらに露出のスケールが拡大されて多くの人が目にすることになる。こうしたプロモーションも、ディ・マリアの采配で決まっていく。ひとしきりスタジオを見学したあと、ディ・マリアにクリエイティブ・グロースが生まれた背景について訊いた。

「今から考えると、まるで200年も前の話のように聞こえるでしょうが…たとえばクリエイティブ・グロースが立ち上がった70年代初頭のアメリカ社会では、『ダウン症の人はレストランに来るべきではない』と普通に言われていました。でも同時に、人権を叫ぶさまざまな大きな運動が巻き起こっていた時代でもありました。そんな中で、アーティストであり教育者のフローレンス・ルディンス・カッツと、その妻で心理学者のエリアス・カッツとが、障害のある人たちのアートの場を作ったこと自体、当時のアメリカでは誰も考えつかない新しい試みでしたが、さらに夫妻は、彼らがアーティストとしてプロフェッショナルなレベルに到達できるようにサポートすることを明確なゴールに掲げていたのです。そして、これを実現するために設けた大きなルールは、“スタッフに福祉の仕事の経験者を一切雇わない”ということでした。クリエイティブ・グロースのスタッフとして重要な条件は、アートスクールを卒業しているか、自分自身がアーティストであること。同じアーティストとしての心がないと、彼らを理解することもサポートすることもできないと考えていたのです」

セラミックのエリア。カラフルなセラミックは、日本の施設ではあまり見られない新鮮さがあった。

確かに、スタジオを回ったとき、アーティストとスタッフとの間には、お世話をする・されるというよりも、同士や仲間のようなコミュニケーションがあった。アメリカ人のオープンな気質なのだと思っていたその空気感は、意識的に培われてきたものだった。彼らがアーティストとしてプロを目指すとき、本当の意味で支えになるのは福祉的な視線よりも、同じ目線なのかもしれない。

「私は、彼らの作品がコンテンポラリー・アート(現代アート)として評価されていくためには、コンテンポラリーにプレゼンテーションすべきだという強い方針を持っています。彼らはアーティストなのだから、“福祉らしく”する必要などありません。このスタジオの内装もそうですし、最近クリエイティブ・グロースの雑誌を創刊したのですが、に出回っている雑誌と同じような、もしくはそれ以上にデザイン性の高いものを作ろうと。これは、あらゆる場面での指針としていることでもあります」

ギャラリーでは、作品をもとにしたTシャツやグッズ、アートブック、創刊したばかりの雑誌などが購入できる。

そうしたプレゼンテーションの積み重ねから、ジュディス・スコットやダン・ミラーのようにコンテンポラリー・アートとして高く評価される作家が生まれてきた。けれど、「未だに彼らのアートがコンテンポラリー・アートに完全に受け入れられているとは思っていない」と、ディ・マリアはいう。

「そもそもコンテンポラリー・アートか否かということ自体、誰も決めることなどできません。それ以上に、私は彼らがアートシーンの中でリーダーシップをとっていくべきだと思っているんです。たとえば、ある大御所のコンテンポラリー・アーティストがここへ来たとき、『自分がなぜ芸術の道を選んだのかを思い出すことができた』と言いました。ここはアートの原点とも言えるエネルギーに満ちているのです」


違いを受け入れることにこそ価値があると、この街の多くの人が捉えている。

クリエイティブ・グロースでは、毎年ファッションショーが開催されている。アーティストたちが、自らデザイン・制作した服を着てランウェイを歩くショーとともに、バークレーに60年代から続く老舗のオーガニックレストラン〈シェ・パニース〉のシェフが振る舞うファンドレイジング・ディナーも同時開催されるという。 この収益が、クリエイティブ・グロースの運営の一部を賄っている。

「たとえば、ヨーロッパだと国自体にアートや障害のある人への理解があり助成金も出やすいそうですが、結局は政府が求める形にせざるを得なくなるという話を聞きます。アメリカにおいても、違う州になると助成金を得るために『みなさんのお金でこんなアートをつくりました』と報告書を上げなければならない場合もあるんです。そうなると、障害のあることが前提のアート活動になってしまう。カリフォルニアは、行政からの大きなサポートがない代わりに、みんな自分たちの自由な表現のために、自分たちでお金を集めてきます。逆を言えば、自分たちでお金が集められてこそ、フリーダムが成り立つのです」

ディ・マリアのディレクターとしての功績はもちろんだが、地域の理解や支えなくして今のクリエイティブ・グロースはなかったかもしれない。この土地だからこそできたことだと思いますか?と聞くと、彼は大きく頷いた。

「“寛容さ”が、このベイエリアの大きな強みだと思います。障害に限らず、個性や違いをポジティブに受け入れることにこそ価値があると、この街に暮らす多くの人が捉えている。アメリカのアクセシビリティへの取り組みの多くは、カリフォルニアから始まっています。人々の意識のないところにアクセシビリティは育たない、ということなのではないでしょうか」

トム・ディ・マリアの部屋にあった、ウィリアム・スコットの作品。いつか両親が年を重ねて亡くなってしまうのは悲しいので、自分と両親を若いころのまま描けば、いつかそれが現実になると信じてこの絵を描いたのだという。ウィリアム・スコットもまた、ニューヨーク近代美術館の常設コレクションに収蔵されるほか、コンテンポラリー・アートシーンで高く評価されている作家の一人だ。