STORIES

(カテゴリー)INTERVIEWS

(タイトル)中国に住むろう者2000万人の世界を描く

蘇青(スー・チン)[ドキュメンタリー映画監督]

(この記事について)

2019531日~63日に東京で行われた「第二回東京国際ろう映画祭」。海外からの招待作品に、中国のろう社会を描いた『手話時代』という作品があった。ダンサーのろう女性の視点を中心に、中国に住むろう者の日常を追ったドキュメンタリー映画だった。作品では雇用や教育問題、結婚などろう者にとっての日常が描かれており、2000万人ともいわれる中国のろう者の世界が浮かび上がってくる。中国を生きるろう者を見つめ続けている蘇青監督に作品について聞いた。

(更新日)2019年07月11日

CREDIT

[写真]  大沼ショージ

[文]  井上英樹

中国と日本を繋いだ映画祭

――どのような経緯で東京国際ろう映画祭で上映することになったのですか?

昨年8月に「上海国際ろう映画祭」がありました。これは中国で初めての「ろう映画祭」でして、私は自作上映と審査員として参加していました。その時に、「東京国際ろう映画祭」代表の牧原依里さんと出会いました。牧原さんとお話ししている時、日本にも「ろう映画祭」があると聞き、ぜひ日本へというオファーをいただいたのです。

中国であれ、日本であれ、「ろう映画祭」の開催は、非常に困難の伴うものだと思います。まず、上映される映画はメインストリームの作品とはいえませんし、観客もたくさん来るわけでもありません。外国映画の場合は言葉の壁もありますし、手話も必要となってきます。日本手話、中国手話、国際手話が必要です。オペレーションは非常に複雑で、映画祭の規模は小さいのに、運営する困難は大きい。しかし、「ろう映画祭」は、大変意義のあることです。たとえ、映画祭の規模は小さくても、この経験はろう者にとって、今後大きな助けになることでしょう。

牧原さんたちとは、連絡を密に取りあいました。スタッフたちの仕事への意気込みや効率も素晴らしい。上映作品も申し分ありません。私たちを迎えるホスピタリティも大変よかったですね。感謝の気持ちでいっぱいです。とてもいい映画祭でしたね。そして、上質の観客が集まっていると思う。上映後の質疑応答も熱心でとてもよかったですね。

ろう者である兄からの言葉を胸に

(写真について)『手話時代』(C)2010 米娜/蘇青

――『手話時代』を撮った理由を教えてください。

私がこの映画を撮り始めた時、ろうの人々の日常を撮りたいと思ったんです。中国に2000万人いるろう者の気持ちを代弁したいと思ったのがスタートでした。この映画は5年間かけ、中国全土に住むろう者の暮らしを撮影したものです。

……私の兄はろう者でした。私は小さい頃から兄と手話を使って会話をしていたんです。とても明るい兄で私は大好きでした。しかし、私が仕事のために実家を離れると、兄はふさぎ込んでしまいました。私以外の家族は手話があまりうまくなく、兄とちゃんとしたコミュニケーションが取れなかったのです。

数年後、私が実家に帰った時には、すっかり兄は変わってしまっていました。そして、「おまえのいなかった数年間はとても孤独だった。誰とも話をしなかったよ」と言ったのです。私は兄の孤独をはじめて知りました。数年後、兄は病で亡くなってしまったのですが、今でも大好きだった兄のことを思い出します。兄の存在は、映画を撮る上で大きな影響を与えています。

(写真について)『手話時代』に登場するダンサーの芳芳(ファンファン)さんも映画祭に合わせて来日した。

――『手話時代』を中国で公開した時の反応はいかがでしたか? 

『手話時代』は、上海のテレビ局のドキュメンタリーチャンネルで『手話時代上海電子台版』として放映されました。しかし、その時は30分短いバージョンでの放映でした。ご覧になったらわかると思いますが、日本公開版はろう者が不平等を訴えるセリフも登場します。その辺りを『上海電子台版』ではカットしています。『上海電子台版』は、動画サイトにアップされていて、数十万人が観たという報告を受けています。聞くところによると、多くのろうの方にご覧いただけたようで、ろう学校が動画を教材に使用したと聞いています。

「きれい事ではない物」を描くドキュメンタリー

――犯罪に巻き込まれた話や不平等なども描かれていましたね。

ええ。ドキュメンタリー映画では「きれい事ではない世界」を描くことが、大切だと思っています。きれい事は、テレビ局が得意としているわけでして(笑)。それを私がやる必要はないわけです。私がやりたいのはむしろ逆です。

私の映画に映っているのは「ろう者の本音」です。そして、あくまでも客観的に「本音」を撮っているという立場です。もちろん、ろうの方々の日々の暮らしの中には美しいこと、楽しいことは当然あります。ですが、必ずしもその部分が人々の心を打つわけではありません。不平等なこともありますし、楽しくないこともある。そういったことこそが、彼らの生活の真実ではないでしょうか。……そこを描くからこそ、社会の進歩があると思います。

――人間の深い部分を映すには、大変なご苦労があったと想像しますが、そこにはどのようなやりとりがあったのでしょうか。

冒頭でお話ししたように、撮影には5年間かかっています。長い時間がかかりました。……そうですね、振り返ると人によって撮影の方法は変わりました。あえてカメラを回さないこともありました。長い人では、まずは友人になってから撮影に入るという人もいましたね。でも、中には会ってすぐに撮影ができた人もいます(笑)。まあ、すぐに撮影に入った人の多くは本音を言わないかもしれない。だけど、それはそれでいいんです。彼らがその時に言いたいことが撮れたらいい。それもまた自然なことです。私はそう思って撮影に挑みました。

(埋め込みコンテンツについて)

――ろう者のダンサーである芳芳さんの娘さんが、大きな声で歌うシーンがありました。だけど、まだ幼い娘は、「母の耳が聞こえない」ことが理解できない。やがて娘は「お母さんは耳がまったく聞こえないんだ」と理解する。娘がお母さんを知る重要なシーンだったように思います。その親子の関係だけでも映画は成り立つのではないかとも感じました。しかし、『手話時代』には様々な人が登場します。この映画を群像劇にした理由は?

 芳芳が映画のボリュームを占める割合は、さほど大きくありません。しかし、ご指摘くださったように、時折映画に登場する芳芳と娘さんはとても重要な役割を担っていますね。

映画には中国各地のろう者が登場しますが、芳芳と娘さんは、各地にいるろう者たちを繋ぐ役割です。点と点を繋ぐ線のような役割をしているのではないかと思います。各地のろう者やエピソードがバラバラなので、1本の糸がそれぞれを繋いでいるのです。だからこそ、ほかのエピソードや登場人物たちが際立って見えるのでしょう。

多くの人に受け入れられない映画であっても

――芳芳さんや娘さんが登場するからでしょうか。『手話時代』は全体を通して楽しい印象を受けました。 

『手話時代』のような作品は、多くの人に受ける作品ではありません。それに《ろう》という題材をどのように処理するか大変難しかった。何度も繰り返しますが、私はこの映画を「ろう者の気持ちを代弁する」作品にしたいと思っています。

しかし、そこの部分があまり強くなると、啓蒙や説教臭く感じて嫌がる人がいると思ったのです。ですから、ほのぼのする親子のシーンやダンスを踊るシーンなども挿入しています。そういった方法を取り入れて、全体を通して映画を楽しんで欲しいと思いました。

 ――ろう者を描いてきた蘇青監督は、今後もろう者を撮っていくのでしょうか? 

ええ。私はこれまでろう者を撮ってきました。今の作品は「学校」をテーマに撮っています。そこにはろう者はもちろん、視覚障害者もいます。今後はろう者だけではなく、様々な特徴のある方々が登場すると思います。きっとこれからの作品にも登場するでしょう。

いずれにしましても、私の映画には、彼らがどのように今の中国を生きるか、そしてどのような暮らしをしているのか。私はそこを、これからも撮り続けたいのです。


PROFILE関連人物

蘇青(スー・チン)さんの顔写真

蘇青(スー・チン)

(英語表記)Su Qing

(蘇青(スー・チン)さんのプロフィール)

1969年内モンゴル生まれ。1990年に鉄道設計の学位を取得し、北京の広告会社でアート・クリエイターと編集者、テレビ映画製作会社で監督業に携わる。独立後、数々のドキュメンタリー作品を手がけている。

関連記事