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(カテゴリー)インタビュー

俳優・永瀬正敏と写真家・齋藤陽道がとらえた光とは?

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[文]  小川知子

[写真]  田上浩一

読了まで約12分

(更新日)2017年06月16日

(この記事について)

前作『あん』で初めて音声ガイドに触れ、視覚障害者の人たちにも映画を届けたいという思いから、河瀨直美監督が手がけた最新作『光』。映画の音声ガイドを製作する美佐子と弱視のカメラマン雅哉との交流を描いた本作で、雅哉として出演するのは写真家としても活動する俳優の永瀬正敏さんだ。生まれつき耳の聞こえない写真家・齋藤陽道さんは字幕付きで本作品を3回観て、自分も体験したことがある感覚を覚えたという。二人が映画を通じて見た光について訊いた。

本文

現在公開中の映画『光』より。

現在公開中の映画『光』より。

現在公開中の映画『光』より。

見えると見えないの間に立ってシャッターを切るということ

齋藤陽道(以下、齋藤):映画とっても良かったです。僕、3回観たんですが、1回観て気持ちが揺さぶられて、2回目に観るともっとべつのところの気持ちが動かされて、3回目にもまたまた変わって……、観るたびに気持ちのいろんなところが揺り動かされました。つねに観るべきところ、感じるところが変化していく感覚がある作品でした。

永瀬正敏(以下、永瀬):ありがとうございます。嬉しいですね。

齋藤:僕は写真を撮っているんですけど。

齋藤さんが常に持ち歩いているのは、ペンタックス67というフィルムカメラ「大吾郎」。

永瀬:(齋藤さんのカメラを見ながら)すごい。6×7(ロクナナ)を使ってらっしゃるんですね。

齋藤:うん、「大吾郎」という名前をつけています。映画を観ながら、僕の手法と重なる部分を感じるものがありました。この写真、見てもらえますか。逆光の効果を利用して撮ったポートレートのシリーズなんですが。

永瀬:リフレクションがすごくきれいですね。

齋藤:この手法で撮るとき、被写体は太陽を背にして、僕は太陽のほうを直視する形で撮ることになります。逆光なので、ファインダーの中は眩しくてよく見えないわけです。でも、ピントは合わせなくちゃいけない。だから、何とか見ようとする、でも、見えない。そんな「見える」と「見えない」のあわいに立っている気持ちでシャッターを切るんです。弱視として写真を撮る気持ちはどういう感じなのかを想うにあたって、そのあたりが雅哉の気持ちと、ほんの少し重なる気がしました。気持ちの方向性としては、真逆だろうとは思いますが。

太陽を背にした被写体と光の輪が融け合うかのような、齋藤さんのポートレートシリーズ「絶対」。

永瀬:雅哉はもともと目が見えていて、カメラマンとして活躍していた人で、僕は自分が表現したいものがしきれない悔しさや寂しさを感じながら、演じていた……というよりも、雅哉として生きていました。たとえば公園で子どもたちが周りにいると少し和んで、彼らを一生懸命を撮ろうとするのだけれど、そこに何人いるかもわからない。だから、どちらかというと、気持ちとしては齋藤さんの未来に向かって輝く写真とは違うベクトルのものだったんじゃないかとは思いますね。

齋藤:でも、最後に雅哉が撮る写真がありますよね。美佐子さんの、ポートレイト。とてもきれいだと思いました。あの一枚を撮ったときの心境というのは「寂しい」ではなく……、「嬉しい」でもないだろうし……、ふさわしい言葉が見つからないですが、それだからこそ「最後の一枚」と言いきれる写真だろうなあということが、すごくわかるようでした。

永瀬:あの写真は、何とも言えない複雑な気持ちで撮っていましたね。映画的な理由で僕が自ら撮れなくて、撮影カメラマンでスチール写真家でもある百々さんが撮っているんです。でも、横にいた僕はどうしても自分の気持ちを一緒に乗っけて撮りたくて。だから百々さんがカメラを構えてらっしゃるときに、僕は後ろから一緒に抱えるようにシャッターを切らせてもらいました。普通ならお任せしてしまうものなんですけど、どうしても一緒に撮りたかったんですよね。

齋藤:あの写真は、はっきり画面には出ていなかったですよね。たぶんぼやけていて、でも存在そのものが写っている感じがして。ただそこに生命がある、という感じがとてもしました。

永瀬:どうなんでしょう。河瀨監督の映画は、いつもインタビューに答えるのが難しくて(笑)。本当にうまく言葉にできないんです。なぜって、僕は雅哉を演じるんじゃなく、雅哉として生きなければいけない。脚本に書かれていることをお芝居するとNGで、逆に言えば、脚本に書かれていない方向を生きてもOKなんですけどね。だから、みなさんの意見はすごくありがたく聞いているのだけれど、まだ客観的に見れていないんです。客観的に語れると、お芝居していたことになってしまう。ご一緒した藤竜也さんも「河瀨直美さんは“魂の盗人 ”」とおっしゃっていましたが、そういう気持ちになります。


見るのではなく、触ることもひとつの声のかたち

齋藤:映画の中で雅哉は、やはりいろんなものを触っている。触ることが必要ですよね。僕も同じことをやるんです。被写体に会って、手話や筆談で喋るのではなくて、できるだけ相手の身体を触ってみる。僕自身も靴を脱いで裸足になって、世界と実際に触れ合いながら写真を撮るようにしているんです。触ることも、ひとつの声のかたちなんじゃないかと思っています。

永瀬:そうかもしれないですね。そこが雅哉と同じなのかもしれない。見えないで撮る感覚として。あ、雅哉の部屋に飾っている写真は、普段僕が撮っている写真なんですよ。ちらっとしか映ってないですけど。どうでしたか?

齋藤:すごくおっとこらしい写真だと思いました。今日実際にお会いしてみて、あの写真のイメージ、そのままなんだなあと思いました。

永瀬:やった! 

齋藤:やっぱり写真は人となりを表すというか、人=写真なんだなと。写真だけ見てもその人がわかると改めて思いました。写真を見るということも、やっぱりひとつの声のかたちなんだと思いました。

永瀬:ひとつの伝えるという手段ですよね。

齋藤:そういえば、ちなみに永瀬さんの視力って、どのくらいなんですか?

永瀬:乱視が少し入っているくらいで、普通に悪くはないです。

雅哉の部屋に飾られた写真を「すごく男らしくて永瀬さんらしい」と齋藤さんに褒められて、ガッツポーズで喜ぶ永瀬さん。

齋藤:雅哉さんの視力は?

永瀬:雅哉の場合は、下を向いた状態で目の前にいる人の顔の上部が少しだけ見えているくらい。ほぼ見えてません。あとは、乳白色になっている。そういう弱視を体験できるキットが売っているんです。雅哉としてのリアリティを出すためには、普段から見えづらい状態でいなければいけなかったので、キットをつけながら街を歩いたりして。

齋藤:僕もそのキットをつけたことがあります。盲目の友達を撮る前に。僕の場合は、目も見えなくて耳も聞こえない「盲ろう」を体験することになるので、情報が何もなくなってしまいます。そのときガイドしてくれたのは、僕の妻なのですが、その妻の存在だけが頼り。すごく怖いと思いました。

永瀬:なるほど。僕もすごく怖かったです。

齋藤:雅哉が階段を降りるときに「怖い」と言っていた気持ちも、すごくわかります。

永瀬:突然後ろから来る自転車とかね。どっちに動けばかわせるのかわからなくて、固まっちゃう。いつもと同じ普段の生活範囲なら平気なはずなのに、突然のハプニングに非常に弱いというか。


映画を伝える一つの表現としての字幕のあり方って?

齋藤:河瀨監督の前作、永瀬さんが出演している『あん』も観ました。すっごく良かったです。どらやきが食べたくなりました。

永瀬:できればここでどら焼きを振る舞いたいくらいですけどね。フラットな鉄板が命なんですよ。

齋藤:ううむ、ぜひ食べてみたいです(笑)。邦画はまだあまり日本語字幕がついていないことが多くて、「あっ、字幕がある」、「ありゃ、字幕ないんだ」と一喜一憂するのもちょっと大変で……、普段はなかなか観ることがないのですが、『あん』はたまたまパッケージを手にとったときに、珍しく字幕があることに気づいたので、観ようと思ったのがきっかけでした。

永瀬:映画って、観る人を限定するものではないと僕は考えていて。みなさんに楽しんでいただけるように作っているので、字幕だったり、音声ガイドだったりもっと観やすい環境にできるのであれば、プラスアルファで加えていくべきだと思うんですよね。ただ、『光』の場合は、音声ガイドの映画に音声ガイドをつけることになるから、大変だったろうなと想像しますけど、そのバージョンも全部目を閉じて聞いてみたい。今は、スマホのアプリでも聞けるんですよね。

齋藤を観て、「あっ、見えない人はこうやってスマホを使うんだ!」という発見がありました。これはすごくありがたかったです。目の見えない友達がいるんですが、いつもどんなふうに操作しているのか知らないままだったので。ちなみにその友達と話すときは、iPhoneにある文字を読み上げるアプリを使って、男性の声か女性の声かを選んだり、読み上げている途中にテンポを変えたり、ボリュームを下げたりとめちゃくちゃなことをして笑ったり。今はありがたいことに伝える方法が少しずつ増えてはいますが、まだ声の幅が狭いというか……、かたちが小さい感じがするんです。だからそれがもっと広がっていけばいいなと思いました。『光』でも、いろんな声がクロスオーバーして、混ざっていましたね。

永瀬:もっと太い声があってもいいし、高い声があってもいい。いろいろなバリエーションがあると選択肢が広がっていいかもしれないですね。

齋藤:僕は、声による表現の違いはわかることができないけれど、映画だと字幕がありますよね。たとえば……、ただぽんと字幕がでるだけではなくて……、希望を言えば、声に合わせて文字がぼんやり出てきたり、色が変わったり、光ったり、動いたりすればもう少し楽しく観られるんじゃないかなあ〜と思ったりします。

永瀬:なるほど。

齋藤:声の感情を何かのかたちで字幕にも乗せられたら、僕らももっと映画の世界に入りこめるのかな、と思ったりします。押し付けがましくなってしまうだけかもしれないですが……。

永瀬:確かに。字幕の出し方も含めてまだまだ映画には可能性があるということですね。こういう意見を、もっと生かしていければいいですよね。


今を受け入れて、一歩踏み出すという選択

齋藤:雅哉さんの体験する、見えているところから見えなくなるというのは、とても怖いですよね。どうやって見えなくなっていく気持ちを掴んでいったんですか?

永瀬:雅哉の場合は、突然病気で弱視になって、その時点で将来見えなくなることを医者に宣言された人なんです。なので、映画が始まる前に、いろんな方々にお会いして話を聞いて。その時に、みなさんがおっしゃっていたのが、「映画で描かれている、雅哉が生きている時間が一番苦しかった」と。絶望だけじゃなくて、微かに見えるという希望も持っている。もしかしたら、いつか奇跡が起きるかもしれないって。絶望と希望が常に心のなかにあるから辛い。だから、雅哉が美佐子に激しく言う、「逃げるな」という言葉も、本当は自分に向けたものなのかもしれないですよね。

齋藤:舞台挨拶でも登壇されていた盲目の大谷(重司)さんは、ベンチプレスで世界チャンピオンになった方なんですよね。

永瀬:はい。大谷さんもともと絵を志していた方で、目が見えなくなってから趣味でバーベルを上げてみたら、実は自分がすごく力持ちだと気付いて世界チャンピオンに。

齋藤:すごいなあ。本当に。

新宿バルト9で行われた舞台挨拶。永瀬さんの役作りをサポートされた大谷重司さん(写真左)、映画にも出演された田中正子さん(写真右から2番目)が花束を持って駆けつけた。

永瀬:大谷さんと話をしている中で、スタッフが「盲目になると宣言したときに、準備はなさったんですか?」と聞いたんです。点字を覚えるとか部屋を整理するとかね。彼はすごく温厚な方なんですが、そのときに初めて声を荒げて、「そんなことできるわけないじゃないか!」とおっしゃって。「そういうことは見えなくなってから仕方なくすることだ」と怒られたんですね。たぶん、そのときの気持ちが彼の中で鮮明に浮かび上がっていたのだと思うんですけど。今回の映画は、ほかにもたくさんの障害のある方々にアドバイスをいただいてできあがっているんです。

齋藤:ああ……。そうなんですね……。

永瀬:だから、みなさんが観られてどう思われたかは、ものすごく気になりましたし、ドキドキしました。たぶん、言いたくないことや思い出したくないことも含めてみなさんが想いを僕に託してくれたので、そこに嘘はついちゃいけないと思っていましたし、何とか伝えたいとがんばりましたけど。今日の舞台挨拶で、全盲のモニターとして出演してくれた田中正子さんに、「泣きました」と言っていただけて、ほっとなりました。

齋藤:正子さんのシーン、どれもどれも本当に素晴らしかったです。

永瀬:河瀨さんって、映画を一から順撮する方なんです。正子さんには台本なしで率直な意見を言っていただいていたので、あのシーンの彼女の言葉をきっかけに映画全体が後半向かっていく方向性も変わったのだと思います。僕もお芝居が変わりましたしね。それほど素直で、素晴らしい言葉でしたね。

齋藤:僕、中学生まで一般校に通っていました。会話ができない日々が続いて、一生このままなんだろうかと想像したら、たまらなくなりました。このまま、ひとりぼっちだとヤバイぞ思い、健聴者社会から逃げるようにして、高校でろう学校に入りました。当時は逃げ道だと思っていたんですが、実際に入ってみたらまったく違いました。朝、友だちと会って、僕が「おはよう」と言うとき、普通に伝わって、そして向こうからの「おはよう」も普通に伝わってくる。その当たり前のことが、すごく嬉しかったんです。自分の身体を素直に受け入れて、自分の気持ちに濁りのない言葉を言えるときの嬉しさ。その思いを『光』の雅哉を見ながらしみじみと感じていました。

永瀬:そのときに補聴器を外したんですか?

齋藤:外したのは二十歳のときなのですが、かすかにでも聞こえていると、やっぱり音に頼ってしまうんです。なんというか、音に気持ちを乱されるのが嫌だった。それで補聴器をつけることをきっぱりやめて、見ることに集中しようと思いました。そこから「見る力」が上がってきたんだと思ってます。

永瀬:一緒ですね、雅哉がカメラを投げたシーンと。

齋藤:あっ! うわあ。びっくりしました。本当にその通りです。それまでの僕は補聴器が生きるためのよすがだと思っていて。まさに、心臓だと思っていました。やめるにやめられず、だらだらと意味もなくつけたり外したりする時期がありました。一切つけることをやめてから、気持ちもすっきりしてきて、身体も受け入れることができてきて……。あぁ、本当にそうだ。全然気づかなかったです。

永瀬:次に向かうため、なんですよね。

齋藤:僕がもし目が見えなくなったらと考えました。難しいことはもちろんのうえで、それでも写真は続けたいなと思いました。その理由としては、ユジャン・バフチャルという写真家を知っているからなんです。こうして障害がどうこうということではなく、自分の身体を活かしながら撮る写真家が存在しているというのはとても心強いことだなと思います。

永瀬:盲目の写真家の方ですよね。写真家の荒木経惟さんも、今は右目の視力がないけれど、それをポジティブにとらえて、見えない方の右目のメガネをマジックで黒く塗って写真を撮ってらっしゃる。撮り続ける道も、雅哉のようにカメラを捨てて今を受け入れる道も、どっちの道もあるんじゃないかな。

12歳で盲目になった、スロヴェニア生まれの写真家ユジェン・バフチャルの写真集『Le Voyeur absolu』。

齋藤:永瀬さんなら続けますか?

永瀬:僕自身は、もし盲目になっても、使っていただけるのであれば役者は続けたいですね。許されればですけど……(笑)。映画では、雅哉の何十年後は描かれていないからわからないですけど、さっきお話した大谷さんのように、今の自分ができる表現を選択していきなりベンチプレスを始めたり(笑)したのかもしれない。でも、執着を捨てて一歩を踏み出せたことが、”光”なんじゃないでしょうか。


©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

『光』 

2017年5月27日より公開中

  • 監督・脚本:河瀨直美
  • 出演:永瀬正敏  水崎綾女
  • 神野三鈴 小市慢太郎 早織 大塚千弘/大西信満 白川和子/藤竜也

[STORY]
視覚障害のある人に向けて映画の音声ガイド制作に関わる美佐子(水崎綾女)は、映画のもうひとつの魅力を言葉で伝える仕事にやりがいを感じながらも、単調に繰り返される日々に迷いを感じていた。そんななか弱視のカメラマン雅哉(永瀬正敏)に出会い、次第に視力を奪われていく彼の葛藤を見つめるうちに、何かが変わり始める。全国公開中。

*作品の詳細や劇場情報は公式サイトよりご確認ください。

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関連人物

永瀬正敏

(英語表記)Masatoshi Nagase

(永瀬正敏さんのプロフィール)
俳優。1983年のデビュー以来、ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』(89) やクララ・ロー監督『アジアン・ビート (香港編) オータム・ムーン』(91)、山田洋次監督『息子』(91)など国内外の100本近くの作品に出演、数々の賞を受賞。台湾映画『KANO~1931 海の向こうの甲子園~』(14) では、金馬映画祭史上初の中華圏以外の俳優で主演男優賞にノミネートされる。今後もジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』(8月26日公開) など話題作が待機している。また、写真家としても活動しており、現在までに多数の個展を開くなど20年以上のキャリアを持つ。

齋藤陽道

(英語表記)SAITO Harumichi

(齋藤陽道さんのプロフィール)
写真家。1983年東京都生まれ。都立石神井ろう学校卒業。著書に『声めぐり』『異なり記念日』、写真集に『それでも それでも それでも』『感動』<2011年刊>『感動』<2019年刊>など。2020年2月にはドキュメンタリー映画『うたのはじまり』が公開された。
(齋藤陽道さんの関連サイト)