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(シリーズ)ヴィヴィアン佐藤の『多曜ロードショウ』

(このシリーズについて)

人の数だけ映画解釈はあります。それは鑑賞者である私たちの映画鑑賞。誤読も、独自解釈もなんでもあり。作家であり映画評論家のヴィヴィアン佐藤さんが、多様性をキーワードに映画を読み解きます。

vol.01 人の数だけ世界はある

(この記事について)

私たちはどうやって世界を認識しているのでしょう。その世界とはどういうもので、そもそも同じものを見ているのでしょうか? 人の数だけ「世界」はある。そんなことを感じられる3本を紹介します。

 

01『アメリカン・ユートピア』
02『ブックセラーズ』
03『僕が跳びはねる理由』

(更新日)2021年05月31日

CREDIT

[イラスト]  ヴィヴィアン佐藤

[構成]  岡田 カーヤ

01『アメリカン・ユートピア』

5月28日(金)より全国ロードショー
©2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED

 [STORY]
元トーキング・ヘッズのフロントマン、デイヴィッド・バーンと11人の仲間たちが、驚きのチームワークで「ユートピア」へと誘うライヴ映画。2018年に発表されたアルバム『アメリカン・ユートピア』のワールドツアー後、2019年秋にスタートしたブロードウェイのステージを、スパイク・リーが完全映画化。舞台構成は極限までシンプルでワイルド。グレーの揃いのスーツに裸足のミュージシャンたちが、自由自在にステージを動き回る。マーチングバンド形式による圧倒的な演奏とダンス・パフォーマンスは熱烈な人生賛歌。喜びと幸福に満ちている。

公式Webサイト:https://americanutopia-jpn.com/

解体と再構築という実験を見ているよう。つながれた線を断ち切って歩きだす、自由でポジティブなマーチング。


ヴィヴィアン佐藤(以下ヴィヴィアン)
この映画は昨年2020年の2月までニューヨークのオペラハウスで行われていた公演を映像にしたもので、デイヴィッド・バーン教授による大学の授業を100分間聞いているかのよう。

 脳の模型を見せながら、人間の脳はどういうところが働いているかという説明から始まります。デイヴィッド・バーンがアカペラで歌い出すと、まずはふたりのダンサーが、そのあと楽器の子たちがだんだんとでてきます。それがみんなワイヤレス。

 本来ならば、楽器には共鳴体があって、周波数があったものに接することで初めて音が鳴る。それが楽器ですよね。弦楽器でも管楽器でも。

 ところが電子楽器となると、形はなんとなく名残があるものもあるけど基本的に共鳴体がない。共鳴体がない代わりに、アンプやスピーカーをとおすので電気が必要になる。すると、電気の線でつながれてしまっている。

 アメリカには伝統芸として「マーチング」があるのですが、これまで電子楽器はマーチングになりえませんでした。線でつながっているから。

 

DIVERSITY IN THE ARTS TODAY(以下DA
そう聞くと、電子楽器はとらわれの身のようですね。自由なようで不自由。

 

ヴィヴィアン
電子楽器の線は犬のリードであるとか、へその緒みたいな感じもありますね。でもこのステージではそういうものを断ち切って、自由に歩きだすのですよ。しかも、彼らの演奏はデイヴィッド・バーンの名曲を、いちど解体して、再解釈して再構築して、血流を与えているかのよう。バラバラにして、再解釈して再構築するということをステージ上で全部やっている。楽団はダンサーいれて11人で、あるときはこういうグループ、あるときはこういうグループというように、解体と再構築を繰り返しながら、縦横無尽に歩いていく。そんな実験を見ているかのようなおもしろい舞台でしたね。

DA
音楽を視覚化するとこうなるんだと思いました。ミュージカルでもない、ダンスのショーでもない。音楽とともにある踊りである動き。そうしたものを見て、感動した初めての体験でした。

 

ヴィヴィアン
ダンサーにしても、音楽と合わせるのか合わせないのか、対旋律にするのかなど、いろいろな人がいますよね。音をどのように体で表現するのか考えたとき、最も理想的なダンサーとは、楽器を演奏する人であり、演奏している人自身の動きだと思うのです。

 

DA
なるほど。

 

ヴィヴィアン
それがいちばんの正しい音との関係性、なによりも正しい楽器ですよ。だから楽器を演奏している人たちがダンサーであることは間違いない。世の中でいちばん正しいダンサー。その曲においてはね。

 

DA
通常のライブだと、音楽家が演奏しているところを私達は目撃している。それはそれでおもしろくはあるのですが、これはその斜め上をいっていますね。

 

ヴィヴィアン
驚愕ですよね。ふたりのダンサーが出てくるのですが、彼らの動きは楽器を演奏している人たちの動きの補助線を強調しているにすぎない。独立したダンサーではないところもおもしろいのです。

同時代に起きている問題性を、鋭くユーモアをもって、前向きに楽しく表現


DA
11人いる楽団員の出身地、出身国もいろいろでした。

 

ヴィヴィアン
途中メンバー紹介で、どこの国の、何州出身かが紹介されましたね。ダンサーのひとりは男性なのだけれどもお化粧している。ようするにエスニック・マイノリティ、セクシャル・マイノリティ、さまざまな人たちがいて、そうしたなかで共存して、ひとつの楽曲を奏でる。それがアメリカ社会であると言いたいのでしょう。アメリカ社会はいろいろなマイノリティの集まりであって、それが協調性をもって調和しているということを。 

昨年、“Black Lives Matterで、アメリカのそれがゆらぎましたけど、まさしく今求められていることであって、これこそがアメリカの理想であると訴えている。そこに感動しました。

 

DA
この映画を、多様性ある映画のひとつとしてあげていただいたのもそのあたり?

 

ヴィヴィアン
まさにそうです。トランプ政権で移民がシャットアウトされて、今こそやらねばと思ったのでしょうね。デイヴィッド・バーンは。


DA
純粋に音楽もよかったけれども、理想郷ってなんなんだということを考えさせ、訴える力がありましたね。

 

ヴィヴィアン
だからといって社会性とか、ポリコレ(ポリティカル・コレクト)を押し付けてはいないのですよね。同時代に起きている問題性というものを、鋭くユーモアをもって、前向きに、楽しく表現している。

DA
デイヴィッド・バーンは、80年代の後半からアフリカやカリブ、南米などのとんがった音楽を世に送り出してきたレーベル『LUAKA BOP』の主宰。さらにはヘンリー・ダーガーなど、アウトサイダーのコレクターでもある。そうしたことをふまえてこの映画を見ると、また一層感慨深い。

  

ヴィヴィアン
たしかにそうですね。さらに、この映画の監督がスパイク・リーというのも興味深い。いろいろな角度からステージを撮っているのですが、カメラが一台も見えない。

 

DA
上からも撮っているし、下からあおるようなものも、楽団の中に入って撮っているものもありましたね。見せ方がすごい。音楽への愛もすごい。踊りながら見たい、聴きたい。と思っていたら、会場の人も踊っていました。

 

ヴィヴィアン
楽団員たちは次第にステージからあふれでて、客席へとマーチングをしていくわけですよ。あれは踊らざるを得ない。それでいて知的なライブ。

 演奏される楽曲は前に進んでいくイメージがありましたね。マーチって前進していく。前向きに、ポジティブな行進といったらおかしいけれど……。そういう楽曲なのですよ。

DA
ポジティブな個人が前進んでいくことで理想郷はつくられていくのかもしれないですね。ヴィヴィアンさんは、マーチングがアメリカの伝統芸とおっしゃっていますね。

 

ヴィヴィアン
スーパーボウルのインターバルに余興として必ずやりますよね。国歌斉唱とともに。1991年、湾岸戦争が始まった10日後のホイットニー・ヒューストンによる国歌斉唱は史上最高に感動しました。アメリカ人でなくても、あれは感動しますよ。

 2019年に公開された『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』というホイットニー・ヒューストンのドキュメンタリー映画も素晴らしかったです。

 アメリカの社会で黒人女性がボディーガードをつけたり、白人男性であるケヴィン・コスナーのヒロインになったり。今となればいろいろいますけど、当時、アメリカではそうした黒人女性は史上初でした。もちろん、スーパーボウルで歌うのも。でも、この映画で衝撃なのが彼女自身の最後。精神的重圧や家族にも裏切られて変わりはててしまう。住んでいた家も映るのですが、今にも亡霊がでてくきそうなくらい。アメリカの影が感じられるすごいドキュメンタリーです。こちらも併せてご覧ください(笑)。


02『ブックセラーズ』

ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開中
© Copyright 2019 Blackletter Films LLC All Rights Reserved

 [STORY]
世界最大規模のNYブックフェアの裏側から、業界で名を知られたブックディーラー、書店主、コレクター、伝説の人物などが登場するドキュメンタリー。ユニークなキャラクターたちの本への愛情とともに、稀少で美しい本と本にまつわる世界が紹介される。

公式Webサイト:http://moviola.jp/booksellers/

本が失われると、歴史が消える。歴史が消えると人間が消える。本は身体性とともにある


ヴィヴィアン
ニューヨーク・ブックフェアを舞台にしていて、本に関係するいろいろなものをハントしているブックセラーズという人たちのことが描かれています。いろいろな人がでてくるのですが、みんな非常に個性的で、本に取り憑かれている具合がすさまじい。

 

DA
みなさんの愛と熱がすごかったです。顔がいきいきしていて。

 

ヴィヴィアン
今の世の中、電子書籍か? 本か? みたいな流れになっていますが、本はなくならないであろうことが映画の中で何度も語られる。

ボルヘスやボードレールの書籍や美しい本がたくさん出てきますが、彼らは本が失われると、歴史が消えると言っています。歴史が消えると人間が消えてしまうと。要するに、本や書籍は人間の身体そのもの。さらには、本は夢や記憶を綴っているだけではなく、個人や人間を超えた理想でもある。

DA
個人の記憶や夢までも超えている……。となると単なる情報じゃないですね。

 

ヴィヴィアン
そう、情報以上のもの。1990年代にボスニアで内戦があったとき、いちばん最初に焼かれたのが、国会ではなくて図書館でした。たくさんの民族が暮らすあの国で本を焼く。焚書をすることは、ある民族を亡きものにしてしまうということ。そういうところが本のすごさ。

 

DA
本は知の歴史であり、民族の歴史。それを焼くことは、特有の言葉を失うことと同等なのでしょうね。

 

ヴィヴィアン
映画では、亡くなった大学教授夫婦の遺品整理をしていると、たくさんの本がでてきます。彼らはすでにこの世にいないけれど、そこには知的なエネルギーが満ちていて、本人以上にその空間で本人たちを知ることができるというシーンがありました。

 同じように、人の家に行って本棚を見ると、その人のことが分かりますよね。今はだんだん町の本屋さんがなくなってきましたけれど、個人の本屋でも店主の気質というか、哲学が見えてきます。たとえばペヨトル工房の『夜想』の本の隣に『S&Mスナイパー』『家庭画報』があったりして。雑多な感じというか、その人のなかの思考の流れ、趣向も見える。

 

DA
コレクターのかたがたは、分野があってその流れでの中でコレクトしている人が多かったのも印象的でした。女性解放の歴史であるとか、ヒップホップ創世期の雑誌とか。情報でなく、文脈や流れ、歴史として残していく、残っていくものが本。

ヴィヴィアン
あとは本になる前のものもそう。小説になる前のメモやノートをコレクションしている人がいて、そこにこそ価値があると言っていましたね。なぜならそこに作品をつくっていくときの思考の過程が見えるから。

 たとえば、線が引かれている本は、ネット通販だと価値が下がって、汚れと判断されてしまうけど、それが意外とおもしろい。前の持ち主がどこで立ち止まったかが見えるから。それが自分の本であるならば、10年前に買った本のどこに線を引いたか、自分の軌跡を見ることができます。

 

DA
ヴィヴィアンさんは線を引くのですね?

 

ヴィヴィアン
引きます。空間芸術、時間芸術じゃないものは、基本的には対象物は変わりません。映画も本も絵画も、それ自体は変化しない。でも、10年前、5年前、昨日と今日でも、受け取りかたは変わります。それというのはこちらが有機体で、毎日生まれ変わっているから。昨日と今日だけ考えても、映画を見て影響を受けたり、寝ている間にだって物事を考えたりすることで人間というのは変わっていく。たった一日、昨日と今日でもだいぶ違う。

 そう思うと、学生時代に買った一冊の本でも、「ここが気になっていたのか」とか「ここはどうして気になってなかったのだろう」とか、ペンの引き方、筆跡、ペンの種類で見えてきておもしろいのです。

読み手がどうやって受け取るかという楽しみがある


DA
本屋ならではの出合いってありますね。この映画でも誰かが言っていましたが、ネットだと目的の本しか買わない。けれども書店へ行くと、目的へとたどり着くまでにいろいろなものを発見できる。

 

ヴィヴィアン

八戸に市営のすばらしい本屋さんがあって、立ち読み、座り読み、いろいろな工夫がなされていて楽しいのですが、お店に近寄ってはいけないというくらいやばい。ついつい買いすぎてしまうから(笑)。

 そこで扱われている本はベストセラーかどうか、売れているか売れていないかは関係ない。つまりは文化。その本屋で講演会や対談があると、話題にでてきた本を店主がさささっと探して「これですか?」といって取ってきてくれる。人力リンク、人間ウィキペディアが実施される(笑)。

DA
ヴィヴィアンさんが多様性の文脈でこの映画をあげた理由はそのあたりのこともあるのですね? 本と本を取り巻く人たちの、マイノリティだと思われていた世界がこんなにも豊かであると。

 

ヴィヴィアン
筆者や本自体の多様性というのももちろんあるけれど、読み手もそれをどう多様に受け取るか。本は読むだけでなく、集めることの楽しみもあるし、もっというと本だけでなくエフェメラと呼ばれるメモや手紙なども収集の対象になることも描かれている。

 そこには本を媒介とした目には見えないいろいろな関係があって、夜のニュースでも語られない真実があるというようなことを映画でも言っていましたけど、そういうものが見えてくる。そして、本にかかわるブックセラーズの人たちもいろいろで、みんな饒舌でしたね。コレクターはものを買うのではなく物語を買っているとか、紙は霊魂の蓄電器であるとか。

 彼らの世界観は、美術館や博物館ができる前、バロック時代の終わりごろに、ヨーロッパの王侯貴族たちが天球儀とか奇形の動物とかの珍しいものを自分たちの価値観で集めた「驚異の部屋」に近いものがありましたね。

 

DA
なるほど、あれも多様性ですね。「驚異の部屋」の世界観が好きな人たちも、この映画が響くでしょうね。


03『僕が跳びはねる理由』

全国公開中
5/28(金)から6/24(木)まで期間限定デジタル配信あり。
配信サイト:https://cinema.eiga.com/
©2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute

[STORY]
自閉症者が見て、感じている世界はどういうものか。“普通”といわれる人とどのように異なっているのか。世界各地で暮らす5人の自閉症の少年少女たちの姿を、家族の証言とともに描き、美しい映像と音響で自閉症者の世界を綴ったドキュメンタリー映画。旅をしているかのような発見と驚きに満ちている。2020年サンダンス映画祭、ワールド・シネマ・ドキュメンタリーコンペティション部門で観客賞を受賞。

公式Webサイト:https://movies.kadokawa.co.jp/bokutobi/

人の見方によってそれぞれ違う「世界」は、人の数だけ存在している


ヴィヴィアン
自閉症者の東田直樹さんの本が原作ですが、障害のあるなしではなく、そもそも私達は自分自身が思っていることを言語化できているのかということを突きつけられた映画でした。

 たとえば主観、客観という言い方があるように、私とあなたが同じ赤色を見ていても、その赤は果たして同じ赤なのかということは証明できない。

 つまり、思っていること、感じていることを正確に言葉にできているのかどうか、それを正確に人に伝えられているのか。その確証はないですよね。そうした問題も提示しているのかなという気がしました。

 

DA
自分が見ている世界が、必ずしも他の人と一緒とはかぎらない。

 

ヴィヴィアン
それは証明できないのです。

 この映画の原作を翻訳したデイヴィッド・ミッチェルさんは、自分の息子さんが自閉症です。以前、奈良に住んでいたときに東田さんの本に出合ったことで、それを英訳して世界に紹介したという経緯があります。

そんなデイヴィッドさんは『クラウド・アトラス』という大河SF小説を書いていて、ウォシャウスキー兄弟によって映画化されています。性転換して、今はウォシャウスキー姉妹になっているのですが。

DA
『マトリックス』の監督ですね。今は姉妹!

 

ヴィヴィアン
そう。そして、『クラウド・アトラス』はだいたい500年間の話。そのなかで時代も舞台もバラバラの物語が並行して描かれていて、時間や空間をこえて微妙に関係してくるというもの。それをハル・ベリー、トム・ハンクスといったハリウッドの役者たちが、それぞれの時代や舞台ごとに老若男女いろいろな役を演じています。

 こうした『クラウド・アトラス』の描き方や哲学が、自閉症にまつわる世界と符牒のように通じている。自閉症の方々は自分の言いたいことや、思っていることがうまく言えない。ときに反対のことを言ってしまったり、ひらめいたことや視覚に入ったことを反射のように言ってしまったりする。アイスクリームを食べたいと思っているのに、食べたくないと反対のことを言ってしまうこともあります。ようするに内面と外面というか、伝えること言語も含めて、それらが合致しない。

 『クラウド・アトラス』はまさにそのことを扱っていて、舞台となる500年間の中で輪廻的にいろいろなものが混ざりあっているのです。

 

DA
自分が発した言葉が相手に伝わっているのか、そもそもその言葉が自分の本心なのかどうかもわからない。そう考えると、世界において確実なものはなにもないのですね。

 

ヴィヴィアン
ということは、世界は多様にあるということですよ。世界は人の見方によってそれぞれ違う。つまり、世界は人の数だけ存在している。

美術館が休みの月曜日に美術が存在するのかどうか。見る人が対峙して初めて美術はそこにあるという存在論と同じように、「世界」も人がいて初めてそこに存在しうる。そうであるとすれば障害のあるなし関係なく、人の数だけ世界はあるということですよね。

 

DA
そう考えると、認識の方法が特別な自閉症者を理解するだけでなく、ひとりひとり異なる方法で世界をとらえる「私達」のことを考えるきっかけに、この映画がなるということですね。

 

ヴィヴィアン
そう。自閉症か否か、障害があるかないかではなく、すべての人に共通する世界のありかたが感じられると思います。


PROFILE関連人物

ヴィヴィアン佐藤

(英語表記)Vivienne SATO

(ヴィヴィアン佐藤さんのプロフィール)

作家、映画評論家、非建築家、ドラァグクイーンなど。青森県七戸町をはじめとした地域のイベントをディレクションするとともに、日本各地でヘッドドレスワークショップも開催。詳細は、ヴィヴィアン佐藤Twitter、Facebookで随時更新中。

(ヴィヴィアン佐藤さんの関連サイト)

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