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(カテゴリー)REPORTS

(タイトル)アート活動支援室ぴかり(北海道)

(この記事について)

傑作を生む場所がある。〈アート支援活動室ぴかり〉という名だけが日本全国の美術公募をとどろかせている。流氷が漂着する北の大地でその「ぴかり」という謎の正体に迫る。

(更新日)2018年3月21日

CREDIT

[文]  嘉納礼奈[芸術人類学研究者]

[写真]  高橋マナミ

支援する側、される側の垣根を越えたコミュニティ

北海道オホーツク圏、紋別郡遠軽町にある〈アート活動支援室ぴかり〉(以下、〈ぴかり〉)は数多くの作品で我々を驚かせてきた。北海道の障害者対象の芸術公募展「みんなあーと」での大賞をはじめ、ポコラート全国公募では4年連続で受賞者を輩出した。なぜこれほどまでにぴかりは驚きの作品を生み出すのか。その謎に迫るべく2年前の初夏に体験入所を行うも、まだまだ謎の正体がわからず、流氷の季節にもう一度体験入所をしてみることとした。

アート活動支援室は突如一夜にして出現したわけではない。その鍵は、単に「福祉施設」という社会・経済的性格、名称では定義しきれない「コミュニティ」の形成にあった。支援する側、される側の垣根を越え、そこに暮らす人々が共同で作り上げた「人生を楽しむ精神」が引き継がれている。

女満別空港から車を走らせ約1時間30分。人口約20000人強の遠軽町。ハッカ栽培と木工、北方対策の陸上自衛隊駐屯地の町として知られている。夏は、30℃を超えるが、冬は最低気温がマイナス20℃を下回る。

明治中期に、本州から来た開拓移民団たちは、厳しい自然条件の中で先住民のアイヌの人々に教わったり、自力でこの地で生きる術を習得し、生き抜いてきた。町内にそびえ立つ岩丘瞰望岩のアイヌ語の名が町名の由来になった。この岩は、同町出身の安彦良和氏がデザインした「機動戦士ガンダム」の語源だとも言われている。

目前に広がるのは、さまざまな白からなる風景。空も、一面に広がる雪原も、遠くに見える流氷の海もすべて異なる白色だ。真っ白な風景の中、突如現れるのが紺碧色のタイルで覆われた建物だ。ここは、社会福祉法人北光福祉会の入所施設〈向陽園〉。障害のある入所者50人、支援員50人が毎日を共に過ごす。

中に入ると廊下の両側にも紺碧のタイルが貼られている。このタイルは昭和53年に〈向陽園〉を開園する際、初代の施設長、湯浅正邦氏がこだわって別注でえたものだ。平屋で真ん中に一本廊下が突き抜け、その両側にはユニット型の住居スペースが6つ、長屋のような佇まいだ。小さなグループのユニットで家族のように生活する。「障害があろうが普通の生活をさせてあげたい」という湯浅前施設長の願いが込められている。廊下や自室の窓は大きくとられ、2m以上の高さがあり、まるで、窓の内と外との境界がなく、雪原の中で生活しているようにさえ思える。廊下のサイドにはビールとジュース類の自動販売機が並び、食堂や多目的スペースとともに、〈ぴかり〉の部屋も軒を連ねる。


ぴかりの大先輩たち

2010年から始まった〈ぴかり〉の活動を支えるのは2004年より北光福祉会に勤務する菊地里奈さん。

札幌育ちの菊地さんは、就職前の研修で遠軽町に滞在した際、「街灯も、コンビニもない。こんな町には住めない」と夜を泣き明かしたそうだ。が、先輩たちのやさしい歓迎の甲斐あって、就職を決意。遠軽町へ移り住んだ。初めは、北光福祉会の通所部門「デイサービスセンター遊友」に配属される。絵を描くのが趣味だった菊地さんは、そこでアート活動支援を開始する。だが、本格的に「アート活動支援室」に携わることになるのは6年後、自ら志願した法人内の入所施設、向陽園〉に配属された時だった。「本格的に」といっても、アートのために時間を特別に設けるわけではなく、道具を揃え、部屋を空けておいて自由に使ってもらうようにした。なぜなら、菊地さんは生活支援をしながら、あることに気づいたからだ。「職員は忙しいが、利用者の人たちは時間を持て余している。職員たちの方が忙しくて引率などをする余裕がない」。菊地さんは生活介護の合間にできるだけ、〈ぴかり〉の部屋にいて廊下で暇を持て余す利用者に呼びかけた。

(写真について)

〈ぴかり〉を支える菊地里奈さん。〈ぴかり〉の活動と大先輩たちと、今ではすっかり遠軽ライフを謳歌している。

向陽園で最長老、昭和4年生まれの三澤隆さんは、〈ぴかり〉でちぎり絵を始めた。「好きではないが、何か気になるから」という理由で時間がある限り、ぴかりの部屋に出向き10m以上ある壁紙の廃材の上に細かく切った千代紙をピンセットで丁寧に貼っていく。細かく切って貼られた色とりどりのちぎり絵はまるでカラフルな天の川のようだ。澤瀬武さんは、三澤さんの良きライバルで部屋もとなり。三澤さんがぴかりに来てから参加するようになり、三澤さんのとなりで雑誌や広告を切り取り画用紙に貼るコラージュ作品を作っている。

(写真について)

部屋もとなり。創作もとなり同士。離れられない永遠のライバル三澤さん(左)と澤瀬さん(右)とその作品、三澤さんのちぎり絵(左)、澤瀬さんのコラージュ(右)。

次第に、開園当初より入所施設で暮らすベテラン利用者の人たちがこぞって現れる。彼らを連れて来たのは、開園当初から彼らを同志のように見守ってきた支援員の小野寺映子さん。以前より自室でなにやらこっそり絵を描いていたり、オブジェを作っているのを知っていたからだ。吉原 長次郎さんは、以前より茶碗、なべの蓋、缶コーヒーなど丸い形のものを部屋に持ち込み、型をとりお日様や非常ベル、日本の国旗の日の丸など丸いものを描いていた。画用紙に「絵」として描いてみたのは〈ぴかり〉が初めてだった。しかし、自室での制作が好きなため、絵ができれば〈ぴかり〉に置きにくるようになった。

(写真について)

2014年に他界した「長さん」こと吉原さん。向陽園ではなくてはならない存在だった。故人を偲んで写真や作品が廊下に飾られる。他人にも自分にも厳しい長さん。菊地さんたち若者世代も多くのことを教わった。

小森明さんは、通称「小森文字」と呼ばれている独自の文字で手紙やはがきを書き、支援員の人々へ手渡していた。その手紙やはがきは返事の手紙が欲しい一心で書いた。返信された手紙やはがきをファイルに取りため、宝物として大切に保管し、ときどき眺めていた。自分の小森文字には一切興味はない。〈ぴかり〉では画用紙やパネルに小森文字を書いてみた。

(写真について)

小森さんが返事を期待して支援員の人々に送った手紙の数々。小森さんの思いが小森文字でとうとうと綴られている。


何もない、だから自分で発明する

こうして、〈ぴかり〉に集まった作品をアート支援の「窓口」としてとりまとめ、いろいろな公募展に応募することを始める。北海道の老舗菓子メーカー・六花亭主催の「着てみたい北のTシャツデザイン展」、「みんなあーと」、「ポコラート全国公募」などで次々と賞を総ナメにした。

また、菊地さんは自らの創作好きが高じて利用者の人々の作品をパソコンに取り込み加工し、グッズを作り始めた。ピンバッジにマグネット、ポチ袋、パッケージにもこだわり作る。勤務時間外に夢中になって没頭した。

初めは、住めないと思った遠軽町で菊地さんは現在、大変だが楽しい日々を送っている。それは、菊地さんが向陽園の大先輩たちから人生を楽しむ精神を受け継いだからに他ならない。「何もない、だから自分たちで娯楽を発明する」という精神である。支援する側とされる側の垣根を越えて、現施設長の工藤克哉さんを始めとする支援員たちと、その盟友、吉原さん、小森さんたち利用者が一緒に作り上げて来た精神なのである。この「何もない」が自発的な創造性と想像力をかき立てた。

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縄幸江さんの表現方法は多岐にわたる。絵を描いたり、色とりどりの画用紙で筒を作ったり、半紙に恋する気持ちをしたためたりしている。制作中は精神を集中させるため、邪魔をすると非常に怒られる。


向陽園の盟友たち−コミュニティとその精神の形成へむけて

工藤さんの傍には向陽園創立当初から40年間ずっと、支援員の仲間たち、大森和子さん、小野寺映子さん、粕谷さん、利用者の吉原さん、松本美千代さん、小森さん、國井勇さん、三澤さん、澤瀬さんたちがいた。

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工藤克哉(くどう・かつや)現施設長。福祉関係の大学を卒業後、昭和55年に同法人に就職。4年後に向陽園に配属される。「ぼくらが楽しいことを利用者に提供したい」をモットーに向陽園を改革してきた。

昨年、粕谷さんは定年退職、小野寺さんは定年より1年早く退職してしまった。偶然、今回の体験入所中に、小野寺さん、粕谷さんが向陽園に戻ってくる機会があった。通所の利用者の人たちを対象とした生花の講習会に講師として招かれたからだ。女性利用者の人々はあでやかな着物姿に大変身して、女郎花、カーネーション、チューリップ、スイトピーなど春先取りの花々を生けていく。男性陣も負けじと生花に初挑戦。できあがった思い思いの素敵な生花は、食堂に飾られた。

久しぶりに行われた生け花の講習会。じつは、以前小野寺さん、粕谷さん、大森さん、工藤さんが「ハビリ活動」という枠組で行っていた試みであった。

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小野寺さん、粕谷さん、大森さんが見守る中、皆で生花を生けていく。女性陣は着物姿もあでやか、男性陣は確かな手さばきで集中力は初めてとは思えない。


ぴかり前身の「ハビリ活動」:コミュニティの生き抜く知性

工藤さん、小野寺さんたちが作ったハビリ活動は、〈ぴかり〉の前身のような活動であった。

かつては、入所者全員が、中古車販売の車の洗浄や紙に割り箸を入れる作業をしていた。作業にはノルマがあった。工藤さんは、作業指導員としての自分たちと、ただ言われたことをやるだけの利用者たちという関係性に嫌気がさした。利用者本人たちのことを何もわからずにただ「こうだろう」と決めつけていた。

平成9年、工藤さんは「作業のノルマだけが人生か」と一念発起し、湯浅施設長に提案した。「利用者に何をしたいか訊ねてみませんか。ぼくらが楽しいことを利用者に提供したい」と。利用者だけではなく、支援員にもアンケートをとった。その結果、平成10年に「ハビリ活動」が始まった。初めは、リハビリ活動と呼んでいたが、「リハビリ」という言葉は、医学的な機能回復に使われる言葉だ。そこで、「リ」を取り除いて「ハビリ活動」と呼ぶことにした。

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ハビリ活動は、自分たちでグラウンドを作ったり、皆で夢中になったパークゴルフ、地域のお祭り参加、乗馬など。楽しむ事に支援者・利用者の垣根はない。

工藤さんはスポーツが大好き。パーゴルフ、乗馬、クロスカントリースキー、釣り。小野寺さんは、利用者さんたちにドレスを着せて着飾る場を作ったり、着物を着て生花をしたり。工藤さんは、利用者の人々と一緒に楽しみすぎて、湯浅前施設長から「支援する側の自分たちが楽しんでいいのか」と釘をさされることもあったとか。ハビリ活動では、支援者も利用者の人々も一緒に楽しむことが基本となった。その結果、支援する側、される側の両方が互いに互いを観察するという行為が生まれた。

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施設の周辺で足取り軽やかにクロスカントリーを練習する。皆で湧別川の河岸で行われる地域の大会に参加する。

実は、今回の体験入所に伺う5日前、小森明さんの訃報を聞いた。雪景色の中の再会を楽しみにしていた矢先だった。もしかしたら、何らかの枠組みに回収しようとする私たちの取材から逃れるために?小森さんらしい気もする。ここには、アートという枠組みが窮屈に思えるほどの静かだが激しい創造性があった。向陽園は、2014年に吉原さん、そして今年小森さんを失った。だが、大先輩たちの「ハビリ」の精神は次世代のぴかりに確実に受け継がれている。人生を生き抜くための〈向陽園〉という知性に出会えた体験であった。謎の正体に少し近づけた気がする。


○Information

社会福祉法人 北光福祉会 向陽園 アート活動支援室ぴかり
北海道紋別郡遠軽町生田原安国347-2
tel.0158-46-2525


PROFILE関連人物

嘉納礼奈[芸術人類学研究者]

(英語表記)Rena Kano

(嘉納礼奈[芸術人類学研究者]さんのプロフィール)

兵庫県生まれ。芸術人類学研究、EHESS(フランス国立社会社会科学高等研究院)、フランス社会人類学研究所在籍。パリ第4大学美術史学部修士課程修了。国立ルーブル学院博物館学課程修了。アウトサイダー・アートの研究、企画などに携わる。現在、アーツ千代田3331にて「ポコラート全国公募」コーディネーターも務める。『美術手帖』『ユリイカ』など多数寄稿。

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