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連続インタビュー

(シリーズ)アートの境界線に立つ

(このシリーズについて)アートを観る、創る、体験する、学ぶその時、意識に立ち現れざるを得ない「アートとは何か?」という問い。額縁がつけられ、美術館に収められ、ホワイトキューブの中に並べられる作品だけがアートなのか。そのボーダーの上に立ち、日々考える人々に聞く。

(タイトル)第6回 藤 浩志[美術家]

(更新日)2018年9月25日

CREDIT

[構成・文]  井出幸亮

表現とは「何かを伝える」よりも「何かとつながる」ための行為。


藤 浩志/ふじ・ひろし

鹿児島県生まれ。1979年京都市立芸術大学美術学部工芸科染織専攻に入学し、85年同大学院美術研究科修了。地域をフィールドとした表現活動を志し、全国各地の現場でプロジェクト型の表現を模索。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校に勤務し原初的表現と社会学に出会い、バブル崩壊期の再開発業者・都市計画事務所勤務を経て土地と都市を学ぶ。「地域資源・適性技術・協力関係」を活用したデモンストレーション型の美術表現により「対話と地域実験」を実践。十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科・アーツ&ルーツ専攻教授・副学長。

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地域社会に関わる中で感じた驚きと喜び。

両親が鹿児島市内で大島紬の会社をやっていましたので、普段の生活の中で、糸を紡いだり、織ったり、染めたりというものづくりの行為を身近に見て育ちました。それで京都の芸術大学で染織を学んだのですが、当時は1970年代の終わり頃で、高度経済成長後の生活様式の変化によって、日常の中で着物を着るということがなくなっていた時期。僕らがやっていた染織も、生活の中で使うためよりも、「作品」として工芸の展覧会に出すために作るということが当たり前になっていて、そのことに何となく腑に落ちない気持ちがありました。また、社会が産業化されていく中で、ものを作る人/買う人が切り離されて、生活の中にあったものづくりが消えて行く中、芸術大学では西洋からの「輸入文化」としての近代美術が主流で、その背景が日本人の生活から切り離されているということに違和感を抱いていました。

在学中に作った最初の作品は、「京都・三条の鴨川の中に自作の鯉のぼりを設置する」というもので、いざやろうとすると、川の管理者がいたり、法的な問題があったりして、なかなか簡単にいきません。設置したのですが、府の土木局によって撤去されてしまいました。しかし、それを京都在住の哲学者・梅原猛さんが「作品を無断で撤去するのはよくない」と抗議してくださり、おめを受けることは免れました。そういう経験から、地域社会の中に関わって何かをやると、摩擦も含めて、思いもよらないことが起こるんだと知って、そのことに驚きと喜びを感じました。

(写真について)

1983年、長さ5mの自作の染色作品(鯉のぼり)13点を京都市の三条大橋の付近の鴨川に設置した。

その頃、ドイツのアーティスト、ヨゼフ・ボイスが「社会彫刻」という概念を唱え、1982年の「ドクメンタ」で樫の木をカッセル市内に7,000本の樫の木を植える緑化運動そのものを作品とするプロジェクトを行っていて、その活動に、僕らのような日本の若いアーティストや美大生たちが触発されたという面がありました。環境汚染や貧困などの社会問題が広がり、多くの苦しんでいる人がいる中で、自分たちはアートの世界の中だけで考えているだけで良いのだろうか、という問題意識もあったと思います。

そんな中、「新しいパブリックアートの形」を模索していた僕は、1989年に鹿児島の実家を改装して「Eスペイス」というオルタナティブカフェを始めました。僕はもともとコミュニケーションが少し苦手なところがあり、心の中に言葉にならないもどかしい思いがあって、うまく話せず、家族との会話が苦手だったんです。実家に帰るのも好きではなかった。だけど、家族と共にカフェを運営していくとなると、やはり話さざるを得ませんよね。設備のこと、メニューのこと、アルバイトのこととか……また日々の運営の中でいろいろな問題も起こります。そうした中で、問題を共有し、一緒に作業することで、親子の関係が変わっていくんですね。またそのカフェに、お客さんや地元のアーティストたちなどの多様な人が集まって来たことで、人間関係も変化する。両親や姉も元気になったし、僕自身の活動に対しても理解が深まった。家族の中に「他者」を導入することで、日常を超える関係が生まれるんだということに気付かされました。

(写真について)

「Eスペイス」。


「かえっこ」で子どもたちに日常を超えた関係性を生む。

2000年には、「かえっこ」というプロジェクトを始めました。各家庭でいらなくなったおもちゃを使い、「カエルポイント」という「子ども通貨」(遊びの通貨)を使って、地域にさまざまな活動を作り出すワークショップです。これは僕の子どもが小学1年生の頃、福岡のフリーマーケットで、「かえっこショップ」としていらないおもちゃを交換する店を開いたことがきっかけでした。「お店やさんごっこ」のようなもので、子どもたちもスタッフとして一生懸命働いた。これは面白いなと思って、子どもたちのいらなくなったおもちゃが世界中に循環し続けるしくみとして、本格的にやってみようと考え、「かえっこカード」を導入して、試行錯誤を始めました。

(写真について)

2000年から始まり、現在では全国各地で独自に開催されているワークショップ「かえっこ」の現場。

「かえっこ」は当初からフリーソフトウエア(多数の人々に使用されることを目的とし、利用者が自由に使用・複製・改変などを行うことができるソフトウェア)のようなイメージで、どこでも自主的に同じような活動ができる仕組みとして考えていました。2001年に「全国かえっこの旅」として、全国各地の学校や保育園、商店街、公園、公民館、美術館など、さまざまな地域で行っていった結果、その活動がどんどん広がっていきました。僕らが直接、関わることなく「かえっこ」をやる地域も増え、今でも毎週末、全国のどこかで誰かが「かえっこ」をやっているというくらいになって、近年では海外にも広がっています。

(写真について)

山梨県で開催された「かえっこ」の様子。

「かえっこ」はただ廃棄物のリサイクルというだけでなくて、子どもたち同士のコミュニケーションを促す活動であることが大切です。バンクマン(銀行係)の役割の子もいれば、ディールコーナー(値付け所)で値付けする仕事の子もいる。お互い面識のない、年の離れた子どもたちが、同じ場所で仕事をして、おもちゃを手に取りながら「これかわいいね」「これ何に使うのかな」などと話すことで、他者同士のコミュニケーションが生まれる。作業の過程で会話が発生して、新しいつながりが生じるんですね。

そんな風に、日常性を超える瞬間によって、何かとつながり、関係性を変えていく行為。それを僕はアートと呼びたいと思っています。アートというと、作品があって、展覧会があって……というフレームをすぐ想像してしまいがちなのですが、本来、人間の日常生活の中には作品も展覧会もないはずですよね。たとえば絵画なら、描いたものの画面、つまり「結果」に目が行きがちなのですが、本来はその「過程」、つまり「作っている時間」の質を変化させることが大切な気がするんです。一般的に美術教育の場では、表現することは「何かを伝える」ための行為だと教えられますが、僕に言わせれば、表現とは「何かとつながる」ための行為。つながることで、自分の日常や常識を越えようとしている。その態度そのものが美しいと思うんです。

(写真について)

「金沢21世紀美術館」で行われた「かえっこ」の様子。

僕は障害者とそうでない方が芸術活動を通じてつながる「ポコラート」の活動にも関わっていますが、そうした分野でもやはり「つながり」が大事だと感じます。障害者の方の制作活動には、多くの場合、支援者の方が関わっておられるわけで、それはある意味ではコラボレーション、「コレクティブワーク(共同事業)」だと言えると思うんです。ですから、支援者自身も作家としての自覚を持って取り組むことで、もっと深い表現が出てくる可能性があるんじゃないか。

また、作品を制作してどこかに展示してお客さんに見てもらうだけじゃなくて、メディアを作ってもいいし、イベントを行ってもいい。もっと多様なリリースの仕方が考えられる。彼らが「どこにつながろうとしているのか」を探ることで、彼らの性質を最大限に生かせる状況を用意する、そういうことを模索していくことが大切なんだと思います。


PROFILE関連人物

井出幸亮

(英語表記)Kosuke Ide

(井出幸亮さんのプロフィール)

編集者。1975年大阪府出身。旅や文化・芸術を中心に雑誌、書籍などで幅広く編集・執筆活動を行う。著書に『アラスカへ行きたい』(石塚元太良との共著、新潮社)。主な編集仕事に『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』(新潮社)、『ズームイン! 服』(坂口恭平著、マガジンハウス)など。

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