ストーリー
presentation

(シリーズ)アートの境界線に立つ

(このシリーズについて)アートを観る、創る、体験する、学ぶその時、意識に立ち現れざるを得ない「アートとは何か?」という問い。額縁がつけられ、美術館に収められ、ホワイトキューブの中に並べられる作品だけがアートなのか。そのボーダーの上に立ち、日々考える人々に聞く。

第5回 村上 慧 [美術家]

クレジット

[構成・文]  井出幸亮

読了まで約6分

(更新日)2018年06月29日

本文

家を背負い、路上を歩くことで見える世界。


 

村上 慧/むらかみ・さとし

1988年東京都生まれ。2011年、武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。美術家。友人と借りたアトリエの鍵を受け取った日に東日本大震災が発生。2014年4月より発泡スチロール製の家に住む。著書に『家をせおって歩く』(「たくさんのふしぎ」372号、福音館書店)、『家をせおって歩いた』(夕書房)がある。主な個展に「移住を生活する 1~182」(2015)、グループ展に「瀬戸内国際芸術祭」(2016)、「吉原芸術大サービス」(2015)、「六本木アートナイト2013」(2013)など。第19回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)入選。


散歩を通じて、街を自分たちの手に取り戻したかった。

子どもの頃から図工が好きでしたが、同時に昆虫にも強い興味を持っていました。ダンゴムシやアリのいる地面に目を近づけていくと、彼らの世界が見えてくる。“解像度”を上げることで、普段の自分が住んでいる世界とは異なるレイヤーに自分の身を置くような感覚に惹かれていました。

そうした体験を求めていたせいか、高校生の頃には「散歩」にハマりました。毎晩、実家の周囲を2時間くらい歩き回るんです。親から「どこへ行くの?」と尋ねられるんですが、ただ散歩したいだけだから、自分でもわからない。とにかく、毎日見ている同じ街の風景を、歩くことで何とか変えてみたいと思っていて。音楽を聴きながら歩いてみたりすると、街の感じ方や捉え方が変わる。だけど家に戻ると、親が2時間前とまったく変わらない様子でテレビを見ていたりする。ずっと同じ場所にいる彼らには自分が感じたこの感覚は得られないんだな、と不思議な気持ちになったのを覚えています。

美大に進学してからは、2時間かけて電車通学していたのですが、車窓から眺める風景が、駅ごとにテレビのチャンネルのようにガチャッと変わるような気がして、そのことに奇妙な違和感を感じていました。阿佐ヶ谷と荻窪の「間」の街の風景を自分は知らない。そこで、大学で「散歩サークル」を作り活動を始めました。シチュアシオニスト01の人々が提唱した「漂流(デリーヴ)」という方法論にならい、地域を歩き回ることで、行政上の地区や産業化された風景でなく、自らの視点で街を再構成し、街を自分たちの手に取り戻したいというような気持ちがありました。

2010年に千葉県松戸市で開催された「松戸アートラインプロジェクト」に参加した村上さんの作品「松戸家」の様子。住宅街の民家に廃材を使って小屋を建て、町の人々に開放して1カ月間の会期中、「持ち寄り鍋」をやり続けた。


家賃を払うために働き続ける、息苦しい生活を相対化する。

大学では建築を学んでいたのですが、空間を設計することよりも、そこで行われる人の住まい方みたいなものが気になって、建築家になることには興味がなくなってしまいました。依頼を受けて住宅を設計し、他人の生活のあり方を規定し、それを自分の「作品」とすることで名声を得ていくようなシステムに抵抗を感じたようなところもあった。卒業後は美術家として活動しながら、色々なアルバイトをして食いつないでいました。

その頃、家を借りて一人暮らしをしていたのですが、「大家」という会ったこともない人に毎月、家賃を払うためにひたすら働き続ける、そんな日常が無限ループのように思えて、息苦しく感じていました。見えないガラスに囲まれ、閉じ込められているような。そんなことを思っていた頃、三宅島を訪れる機会があったのですが、そこには火山の噴火で流れだした溶岩に自宅が埋まってしまった人がいたりして。彼らはすでに存在しない土地のローンを払い続けていた。そういう現状を見て、土地とは、家とは何だろう? という疑問が湧いてきたんです。「土地の所有」という共同幻想のようなものを作り上げて、みんなで騙し合っているだけなんじゃないかと。

その時、ほんの思いつきなんですが、「人間一人が寝ることができる、最低限のサイズの家を作り、それを移動させながら、毎日、他人の家の敷地に根を下ろして暮らす」というアイデアが出てきました。リヤカーを引いて移動生活するとかではなくて、家そのものを背負って歩く。そうすることで、家賃を払うために仕事をする生活や、その繰り返しの中で無目的に生産性を上げ、経済成長を目指すようなこの社会を相対化できるんじゃないかと思ったんですね。2014年4月から、ホームセンターで買った発泡スチロールで自作した小さな家を担いで移住する生活を始めました。

2016年10月5日撮影。発泡スチロールは軽くて断熱効果が高いが、それでも重さは15kgほどある。これまでに重ねた引っ越しは300回を超えている。
撮影:北嶋正彦


どんなに小さな行動でも、社会的なアクションになり得る。

持ち物は、3日分の下着と寝袋、絵を描くための筆記用具、ノートパソコン、ソーラーパネルの充電器。歩いて行った先で、寺の境内や民家の庭、駐車場などの一角を借りて、家を置いて寝泊まりし、頃合いを見てまた移動する。トイレは公衆トイレやコンビニのトイレ、風呂は銭湯、洗濯は道の駅の水場やコインランドリーなどを使う。そうした生活を続けながら、関東から東北、中部、関西、九州と断続的に移動し、多くの人に交渉して敷地を借り、生活してきました。

面白かったのは、僕がやっていることを「家を背負って日本一周する」という目標を達成するためのプロジェクトなんだと思い込む人が少なからずいることです。僕にはそんな目的はなかったし、ゴールもないので始まりも終わりもないわけですが、人は自分の理解できる範疇だけでものを見たがるんですよね。今は一時的に家を大阪の知人に預かってもらい、東京を拠点に生活していますが、活動が終わったと考えているわけでもありません。

2017年に熊本市現代美術館で行われたグループ展『風を待たずに 村上慧、牛嶋均、坂口恭平の実践』では、震災で被災した建物の跡地を借りたプロジェクト「夏休みアトリエ菜園計画」を展開した。

移動生活の過程では、理不尽で不快な経験もあるのですが、一方で、自分と同じように社会に対して疑問を感じている人たちがたくさんいるんだということも知りました。土地を借りるためにお寺の住職さんと話す機会が多かったのですが、自分が移動生活をしている理由を伝えると、「その気持はわかる。だから自分は出家したんだ」と話してくれたり。自分が態度をきちんと見せれば、レスポンスは返ってくるというということがわかりました。

また東北の被災地を回った時には、他人のために自分を犠牲にしているかっこいい人にたくさん出会いました。自分のまったく知らない所で、本気で頑張っている人がこんなにいるんだと知って、己のことしか考えていない自分が恥ずかしくなったというか。移動生活を始めた頃の自分はたぶん、すごく気が立っていたんですね。「誰も自分を理解してくれない」という気持ちが強くてニーチェやオルテガの本を読んでは、どこかで「大衆は愚かだ」などと思い込んで、怒りの塊のようになっていた。だけど、各地を自分の足で歩いて、多くの人々に出会って、自分もまたどこにでもいる大衆の一人なんだと気がついたんですね。愚かなのは自分だったんだと。

そうした経験を経てからは、以前よりも他人と話すようになったし、本もより読むようになった。自分の目線を超えた大きなものに振り回されるのでなく、地に足を着けてクリティカルなことをやっていこうと。そのためには、色々なことを吸収して人間として成長しないとダメなんだという、当たり前のことがわかった気がします。

移動生活をしている最中、「自分一人でやっているだけでは意味がない。社会に影響を与えられない」とよく指摘されたりしたのですが、人間はどれだけ他人と関わらずに生活をしようとしても、電気代や水道料金を払ったり、食事を購入したりしなければ生きていけないわけで、そこでは何らかの社会的な役割を引き受けざるを得ません。逆に言えば、どんなに小さな行動でも、社会的なアクションになり得るということ。そうした身近な活動の方が、自分の領分を超えて世界を一気に変えようというよりも、むしろ態度として誠実なんじゃないかとも思う。自信をもって、自分にできることをやっていけたらと思っています。


キーワード 記事中の言葉

01: シチュアシオニスト

1950年代から70年代初頭のヨーロッパ諸国で、高度資本主義社会における芸術、文化、社会、政治、生活への批判と実践を試みた前衛的な芸術運動集団「シチュアシオニスト・インターナショナル」に参加した人々。

関連人物

井出幸亮

(英語表記)Kosuke Ide

(井出幸亮さんのプロフィール)
編集者。1975年大阪府出身。旅や文化・芸術を中心に雑誌、書籍などで幅広く編集・執筆活動を行う。著書に『アラスカへ行きたい』(石塚元太良との共著、新潮社)。主な編集仕事に『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』(新潮社)、『ズームイン! 服』(坂口恭平著、マガジンハウス)など。