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ホームレスのダンサーたちを追った映画『ダンシングホームレス』監督に聞く、「コロナ禍だからこそ届けたい思い」

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(カテゴリー)インタビュー

ホームレスのダンサーたちを追った映画『ダンシングホームレス』監督に聞く、「コロナ禍だからこそ届けたい思い」

三浦 渉 [ドキュメンタリー監督]

クレジット

[写真]  斉藤有美

[文]  井上英樹

読了まで約7分

(更新日)2021年06月25日

(この記事について)

路上生活者、元路上生活者がメンバーのダンスカンパニー『新人Hソケリッサ!』(アオキ裕キ主宰)を追ったドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』(2020年)。ドキュメンタリスト・三浦渉が3年にわたり密着した本作品は国内外で高い評価を得た。しかし、公開のタイミングが新型コロナによる1度目の非常事態宣言とぶつかってしまった。「内容に関してはどんな評価も受け入れる。しかし、観てもらえないことが悔しかった」と三浦監督は当時を振り返る。2021626日(土)から716()まで、ポレポレ東中野(東京)にて再公開が決定した『ダンシングホームレス』。三浦監督に話を伺った。

本文

(埋め込みコンテンツについて) 映画『ダンシングホームレス』予告編。2ふん5びょうのどうが。

映画を公開しても、街には人がいなかった

インタビューに答える三浦監督

映画の公開が1度目の緊急事態宣言とぶつかってしまいましたね。

三浦)
僕にとって『ダンシングホームレス』は特別な作品です。これまでCMや番組を何本も撮ってきましたが、初めて映画館で上映する作品だったんです。メジャーではなく、ミニシアター系映画なので、期待しすぎてはいけないと思いながらも、どこかで期待しながら公開を迎えました。シアター・イメージフォーラム(東京)での公開は37日から緊急事態宣言が発出された47日まで。(その後緊急事態宣言が明けた6/16/5に、5日間限定で上映)当時は新型コロナウイルスがどんな病気なのかも誰もわかっていませんでした。

コロナの影響が色濃く、街には人がおらず、映画館にも人が来ませんでした。それでも最初の2週間はお客さんが入りましたが、後半はほとんど人が来なかった。1日数名のような時もありました。最後の舞台挨拶を終えたときは「なんでこの時期に公開なんだろう……」と、映画館の外で一人涙しました。悔しかったですね。

 

新人Hソケリッサの公演の様子

©Tokyo Video Center

ドキュメンタリーは生きている人たちの人生を撮らせてもらっている

世界中、どうなるかわからない状況でしたね。

三浦)
ええ。だけど、作品を観て批判されるならまだしも、それすら叶わない現実が悔しかったですね。なんとしても、観てもらいたかった。映画って自分だけのものではないんですよね。このドキュメンタリー映画は3年密着させてもらっている。生きている人たちの人生を撮らせてもらっているわけです。それを映画として観てもらえる機会だったので、関係者に申し訳のない気持ちがあった。どうにかできないかと模索していた1年間でした。

特に新型コロナで人と会えず、人との繋がりが薄れていくときだからこそ、彼らの在り方を観て欲しかった。体と体で繋がるという、そこの喚起みたいなものは余計高まる感じがしています。今の時代だからこそ、むしろ意味を持つのではないか。お客さんの元に映画が届かぬ悔しさと同時に、今だからこそ改めて観てもらいたい……。そんな気持ちがありました。

©Tokyo Video Center

映画を撮り、ホームレスの方への見方は変わりましたか?

三浦)
僕は仙台出身です。東北は寒いのでホームレスの方が少ないんですよね。僕の人生の動線にホームレスの方はあまりいなかった。『新人Hソケリッサ!』(以下ソケリッサ!)に出会う前は、非常に悪い言い方をすれば、ホームレスというのは、ある種ドロップアウトした人たちなんだろうな……という風に考えていました。

ただ、撮影を通して接するにつれて彼らの責任なんかじゃないと思うようになりました。ホームレスになるには環境が大きいんです。『ダンシングホームレス』に虐待を受けて生きてきた人が登場します。虐待を受けると、どうしてもその場所から出ざるを得ないし、出た後は完全に1人で生きていかなくてはいけない。その過酷な人生を知ると、路上で生きるということはすごく理解できる。

僕がホームレスにならない理由を考えた

路上に出る人と出ない人の違いはなんだと思いますか?

三浦)
撮影をしながら「なぜ、彼らは路上に出て、僕は路上に出ないんだろう」ということを考えていたことがありました。僕は普通の家庭に育ったと思っていましたが、その「普通」こそが、とても恵まれた環境なんです。映画を撮り進めるうち、人生の最初の環境の違いはすごく大きいんだと感じるようになりました。

『ソケリッサ』のメンバーは、親に生き方を強制されていたり、死に別れていたりしているんですよね。僕は親が「いる」。ですが、親という存在がいなかったり、あるいは関係が希薄だったら……、路上に出るハードルが低くなるのかもしれませんね。

©Tokyo Video Center

『ソケリッサ』のアオキ裕キさん(ダンサー/振付家/ソケリッサ主宰)は、メンバーたちに練習を強制しません。「別に来なくても良いですよ」と言う。ダンスにしても同じです。「あなたの好きなように踊ったら良いですよ」「あなたが好きなようにしなさい」って。絶対に強制したり、命令をしたりしない。ダンサーたちから出てくるものをすべて受け止めますよというスタンスだからこそ、ソケリッサは続いているんだろうと思いますね。

三浦)
『ダンシングホームレス』は、ドキュメンタリー映画です。しかし、親に自分という存在を受け入れてもらえなかった彼らが、アオキさんという「新しい父親」と出会う物語という意味合いも描いています。この物語は『ソケリッサ』という、擬似的な家族の再生の物語でもあると思っています。

実際、東京の街を歩くとホームレスの方がいます。しかし、彼らは目立たないよう、まるで街や路上に擬態しているかのようです。しかし、ダンスは真逆で、自分という存在を見てもらう行為です。普段はじっと身を潜めている人たちが、「俺はここにいるんだ」という気持ちがダンスと融合したように感じました。

三浦)
そもそもどんな表現でも、それはコミュニケーション手段ではないかと思います。きっと、誰かと繋がりたいから何かを表現するんです。おっしゃるように、『ソリケッサ』のダンサーたちは、誰かに見せることなく踊ってはいないと思う。なにかしら、「繋がりたい」「感じてもらいたい」という思いがあるからこそ、彼らの表現というものは成り立っている気がしますね。

©Tokyo Video Center

そもそも、僕には『ダンシングホームレス』を撮る前からコンテンポラリーダンスに対する造詣はありませんでした。……ダンスって「ジャニーズのダンス」のようなものだと思っていたし、ちゃんと見たことはなかった。

その僕が初めてしっかり見たのが、『ソケリッサ』でした。はじめは映像でした。その映像で見た彼らの存在もダンスも衝撃だったし、彼らの在り方がホームレスというイメージと明らかにかけ離れていたんですよね。「自分の体を他者に見せる」という姿が衝撃でした。何かしらを伝えようとする思いが、映像から伝わってきて、非常に踊りとして良いなと思ったのが最初です。

それで、彼らを撮りたい。テレビなのか映画なのかわからないけれど、とにかく撮りたいと思ってアオキさんに会いに行きました。「まずは見てから」と、アオキさんに諭された後、実際に公演を見て撮影のオファーをしました。

ダンスがホームレスたちの身体を変えていく

アートの文脈だけに注目すると、踊り手の裏側や心境を描写するよりもダンスそのものを見せる手法を取るでしょう。しかし、『ダンシングホームレス』にはダンスを作り上げていく過程や葛藤、そして日常が記録されていましたね。

三浦)
アオキさんは、ホームレスの方を「原始的」と表現することがあります。もちろん、悪い意味ではありません。僕らは屋根のある暮らしをしていますが、ホームレスの人たちとは違う生活をしている。その差は撮影中に肌で感じます。夏はとにかく暑い。だけど、彼らはその環境下でも歩き、『ビッグイシュー』(ホームレス状態の人が路上で売る雑誌。『ソケリッサ』のメンバーの多くは同誌の販売員でもある)を販売する。

反対に冬は寒い。……とにかく寒いんです。僕たちは寒かったら動くでしょう。夏同様『ビッグイシュー』販売でもじっと立っている。彼らはカロリーを消費しないためにじっとしていることが多いんですよね。僕たちは寒かったら喫茶店や、それこそ家に戻れば寒さをしのげます。でも彼らはずっと寒いまま、路上で生きているんです。五感が研ぎ澄まされているように感じることもありますね。本当に気温の変化にも敏感で、一緒にいたときに「あ、いま1度くらい下がりましたね」と言う。そんな違いがわかるんです。

路上生活をしている人たちは皆、何らかの形で死に直面したことがある。それこそ暑さや寒さだったり、数日間飲まず食わずだったり、病気になったり。……まじまじと死を体感したことがある人たちなんですよね。アオキさんの言う「原始的」とはまさにその部分を指していると思います。昔の人は、今よりもっと死が間近だったでしょう。死を「体感した人」と「していない人」では、意識として大きな違いがあるのではないかと思いますね。

三浦監督

おそらく、『ソリケッサ』に参加する前、ダンサーの方たちは「見られて欲しくない身体」だったはずなんです。だけど、『ソリケッサ』に入り、アオキさんたちと共に過ごし、ダンスをすることで「見てくれよ!」という身体になっている。その変化は本当に素晴らしいと思いますね。彼らを3年間にわたって撮影した『ダンシングホームレス』を、観ていただき彼らの「身体」やダンスを感じて欲しいと思います。

◎Information
ドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』
2021年6月26日(土)から7月16日(金)まで、ポレポレ東中野(東京)にて公開。

2021年8月7日(土)よりシアターセブンにて大阪アンコール上映。

また、自主上映会も募集している。詳しくは公式ホームページまで。

[STORY]
新宿で路上生活をする西。ダンサーを夢見たが、人間関係や借金問題に疲れ、ホームレスになった。その西が「新人Hソケリッサ!」と出会う。そこには同じように、すべてから逃げてきた小磯、病を抱える横内、父親の暴力に苦悩した平川など、人生の辛酸をなめた仲間がいた。彼らの「生きる舞」は、排除の論理が広がる日本社会に痛烈なメッセージを与える―。座・高円寺 大賞、米国際映画祭 銀賞

公式Webサイト:https://thedancinghomeless.com/
映画Twitter:https://twitter.com/dancinghomeless/


関連人物

三浦 渉

(英語表記)MIURA Wataru

(三浦 渉さんのプロフィール)
ドキュメンタリー映画監督。1987年生まれ。日本大学芸術学部在学時に自らの祖母を描いたドキュメンタリー作品が、日本芸術センターや阿倍野映画祭、TVF2014など国内の各映画祭で受賞。大学卒業後CM制作会社を経て、2015年東京ビデオセンターに参加。現在ディレクターとして海外取材番組や短編ドラマ、CMを手掛けるなど幅広く活動。本作が初の長編ドキュメンタリー映画作品。